パリでAV動画を考える。
PCが狂ったのか。突然、AV若手新人女優の一覧表ページが出てきた。
若いAV女優がこんないるのかと驚いた。その中に元競泳選手の青木桃という女の子がいた。
フランスでは競泳選手がポルノ女優になるなどという事は想像を絶するので、これにも仰天した。
AV動画というのは日本が勝手につけた名称で西欧にはない。こっちではポルノ映画と呼ばれる。
青木桃の写真を見ると体格がよく、いかにも水泳選手であるだけでなく日本のどこにでもいそうな普通の女の子という感じがあって、軽く誘惑に引っかかてしまった。
名前をメモして検索した。
最初は全裸水泳とかいって本気で真っ裸になって泳ぐデモンストレ-ションのビデオが流れる。カメラは執拗に女性のあそこばかりを追うのが馬鹿げていたけど。
続いて彼女出演の本番AV動画となるがAV動画は同じパタ-ン。性交をみせるのが目的だから他にやりようはない。ただ普通に水泳をやってた女の子というイメ-ジを植え付けられているから刺激度と妄想度は高い。
AV動画が絶えず女優を変える続けるのは、飽きられない為の手段のひとつだろうなと思った。 性交のパタ-ンは変えようがないから、女優を変える事で鮮度を保とうという算段だろう。
それにしても、こうしたAV動画に普通の感じで出演する若い女性が多くいるのは日本女性の性道徳や人生の価値観が変わったという表れなのだろうか。
好きでも無い男と性交してギャラをもらってケロリとしていられる普通の女性なんているのだろうか。 女はみんな娼婦であるという考えもあるのは知っているが。
AVは性交という事実がある以上、どうしても作り事では済まない。
虚構と現実の区別がつかなくなった時、人間は狂っていくのではないか。
知人だった映画女優は本番をやらされて、生理がなくなってしまったと言い不幸の内に死んだ。
もう一人のフランス新人女優は巧みに仕組くまれて相手役との性交を撮影されてしまい、気が狂った。
セックスと精神が切り離せない事はレイプされた女性が苦しむトラウマを知れば十分に理解できる。
青木桃という女性も何度かAVに出演していくうちに普通がすりきれてAVで売春して稼いでいる女としかみられなくなってくるのだろう。売春という認識がないのは言葉の魔力に過ぎない。
勿論、AV女優に限らずカメラや人前で平気で性交できる女優はいるが、それはやはり特殊な例だろう。
フランスのポルノ映画とAV動画を比べてみると幾つかの違いに気がつく。まず日本の方が女優が素人っぽく若い女性が多い事、それと何らかの話を筋にして作品が作られている。
だから映画女優として演技していると錯覚しやすいのかもしれない。
量を見ているわけではないがフランスポルノ作品はそのものずばり性交を生々しくダイレクトに撮影したものが多そうだ。
野獣的というか、人間というより獣が本能むき出しで性交するといった作品が多いように思う。それだけに激しい。
その点では 日本のAV動画の方が創意工夫があると思う。なにしろ水泳の選手まで引っ張り出してくるのだから。
そういう日本人の勤勉さもあってか、パリのポルノショップのビデオコ-ナに行くと字幕必要なしの日本のAV動画が沢山売られている。
一方、過去に繁栄したパリの有名なポルノ街は壊滅状態である。ポルノも今はネットで自宅で簡単にみられるから客が激減した。そういえばブレッソンの写真で知られるパリの街娼もすっかり姿を消している。娼婦もPCを使って自宅で商売してるそうだ。
例えばポルノショップが多く集まっていて悪の華やかさがあったピガ-ル。あるいは有名な街娼通りで、昔は肉体を売る多種多国籍の女達が派手な蝶のように通りを飾っていたサン、ドニ通りとか。みんな完全に寂れてしまった。
唯一残っているといってもいいのはシャンゼリゼ大通り。この界隈はベルエッポクのころからの伝統があるともいわれている。大通りや高級ホテルやカフェを流して外国の金持ちを狙い落そうとする比較的値段の高い娼婦がいる。
この他では難民として亡命して来た異国人の中で貧しい郊外や難民キャンプで売春する女性もいるらしい。
中島桃の流れでAVを ナビゲ-トしていたらレイプのAV動画にぶちあたってしてまった。
それはエロスというより人間としての女を破壊する動画だった。残忍だった。人間に対する尊厳は皆無。人間というのは恐ろしい生き物だと戦慄した。悪夢だった。
こういう人間破壊のAVは取り締まるべきだと思った。
AVもポルノも同じ段取りで性交を見せていく以外、なんのイマジネーションもないから飽きてくる。内実は極めて貧困である。
それでもなくならないのは、それが本能と結びついてるからに違いない。本能は飽きない。
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