獅子頭伸のフランス情報;パリのつびぶやき。

在仏約40年の経験を生かしてパリを中心とした文化社会情報をお伝えしていきます。k

パリに暮らして40年以上が経ちました。情報誌パリ特派員、日本映画祭のプログラムディレクタ-などをしてきました。恐らくパリに骨を埋めるでしょう。日本映画紹介の仕事は続けています。年齢は還暦過ぎてから忘れています。そんな日本人男が触れる日常や特にカルチャ-シ-ン、またパリから見た日本の事などを書いていきたいと思っています。ヨロシク。

私は何も後悔しない。

 フランスのシャンソン歌手というと、まずエディット ピアフとかイブモンタンを思い浮かべる人が多いだろう。特にピアフは孤児として生き抜くためにパリの街角で歌い、そこから世界的スタ-歌手になった。
 その彼女の代表作に余りにも有名な「私は何も後悔しない」とレフレインで歌う世界的にヒットした名曲がある。


 後期高齢者になってからは人生の過去を振り返る事が多くなった。だが我が人生は後悔ばかりが思い浮かぶ。
 あの時はこうすればよかったとか、もっと勉強をしておけば良かったとか。何故あの時、あの彼女と別れてしまったのかとか。あの時、どうしてもっと違う判断と行動をしなかったのかとか。
 更にはこの年齢になっても学歴コンプレックスで苦しむ時がある。死が近いのだからご破算でいいと思うのだが。


 人生は一回限りの勝負である。いやだった人生の時を消しゴムで消すわけにはいかない。


 後悔ばかりがある。しかし全てはそう生きるしかない運命だった、と思える。
 生き方の選択は生まれた時から既にインプットされている。そうとしか思えない。
 人生は偶然ではなく必然に左右される。そうとも思う。


 人が老いて死んでいくのは宿命である。あらがう事は出来ない。そして過ぎ去ってみれば全ては幻想に過ぎない、と思える。


 良寛さんは死を迎えた最晩年、次の漢詩を残した。

閃電光裏、六十年、
世上の栄枯は、雲の往還。
巌根も穿たんと欲する、深夜の雨、
灯火も明滅す、古窓の前。

誰もいない灯火の僧房で激しい雨の音を一人聞いている老いた僧侶の姿が浮かぶ。

晩年のエディット ピアフはアル中になり精神病院で治療を受けながら死んでいった。

人生の終わりは哀しい。

今夕はbaisser salé:しょっぱいキス:という一区にあるjazz clubにノラという若い女性サックス奏者とアフリくカ音楽のジャムセッションのライブを聞きに行く。
脚が一向に改善せず行くのに時間はかかるしつらいけど。
すごくよさそうだ。

白のグラスワインなら10ユ-ロ位だろう。

つらい。

長い間ブログを書く事が出来なかった。理由は次々と三カ所の病院で三カ月半超の入院生活しなくてはならなかった為である。最初はコロンタンセルトンという公立の大病院の精神科。
もう約一年前の8月上旬で、コロナ流行で映画館、劇場、レストランなどが閉められ外出禁止の処置がとられたころである。
それまでは意欲十分で元気溌剌だったのに急に体調が崩れ死にたいと思うようになった。
病院で診て貰ったところ原因はメンタルから来てるとの事。
16年前に会社内の争い、フランス人社長との苛烈な利害闘争で双極性精神障害を発病して治療を受けていたが16年も再入院しないできたので、もう障害は乗り切ったと思っていた。
ところが障害予防の為に飲み続けていた薬が体になじみ過ぎて効力がなくなっているから薬を変える必要がある、それには入院治療が一番リスクが少ないといわれたので、イヤだったがそれを受け入れた。
 最初は一週間の入院といわれたが結局一カ月超いた。公立だからなのか食事は信じられなく不味く食べれない時が何度もあり1キロ以上痩せた。
 退院してからも具合が悪いので、電話すると病院に戻って来いという。とても戻る気はせず頑なに拒否するとパッシイという軍事病院に回された。
 ここでの診断の結果、コロナに感染しているのが判明した。看護婦も医師もものものしい防菌服で驚いた。ここにも約一カ月超いた。食事は少しはましだったが不味い事に変わりはなかった。
 苦しい入院生活の後、やっと退院となったと思ったら、すぐ家には戻れなかった。病院と自宅に帰れる前に指定の医院に入院して病態の経過を見る必要があるというのである。それで自分住むバンブ市のクリニックに送られ一カ月半超の入院生活を強いられた。
 結果長い病院生活で家に戻った時は脚が弱体化して普通に歩けなくなってしまっていた。
 それからは杖を頼りに歩き今もまだ週に二回リハビリに通っている。


 老いるという事はツラいことである。体の方々が壊れていく。気がついたらパリに45年近く暮らし気がついたら76歳になっていたという感じである。
 白内障、頻尿、糖尿、血圧、女性はもうダメだし、そして何よりも孤独になっていく。フランス語には全く不自由はしないが、母国語ではないハンデは絶えず感じる。
 日本との関係が希薄になっている事もツラい。もうフランスに骨を埋めるのは確かだろう。
 これも一つの運命としかいいようがないが、時には普通でない運命を受け入れるのはつらいと今更ながらに気がつくのだった。今はどう生きていくかではなく、どう死んでいくかを考える事が多い。
 だがこれが俺の人生だったと後悔はしまい。楽しい事もたくさんあった。人それぞれの人生だ。
 だが過ぎ去ってみればすべては束の間の夢の如くだ。一昨日テアトルに行った時、携帯を掏られたので今回写真の掲載は出来ない。夏休み期のパリは盗みやスリが普段より多くなる。

ポストコロナウィルスの世界







フランスの有力週刊誌le pointが3月26日号でコロナウルス流行後の世界について30頁超の特集を組んだ。
対象は経済、文明、仕事、アジア、自由と広範囲。
中心執筆者はノ-ベル経済賞のjean tiroleや異端の哲学者Michel onfray、ハ-バ-ド大学の心理学学者など6名。
理解できた範囲で気になる指摘を拾って参考までに紹介いしておきたい。


「世界は元に戻らない。
今2つの国家モデルがある。
一つは強権的政治体制のみが21世紀のグロ-バルナな問題に答えられるという事を示した中国モデル。もう一方は民主主義で自国と国際秩序の建設、危機管理と国民の権利、経済の持続と水準の高い健康管理を保証、テクノロジーと市民主義が統合出来る事を証明した。」


「生産と消費も低い公害のないクリ-ンな世界を夢見る人々がいるが、それは数億の生き延びたい人々にとっては真の悪夢となるだろう。だが、消費社会の復活には数週間の欠乏があれば充分だろう。」


「コロナウィルスの危機はソ連崩壊以来養われてきた自由資本主義幻想の終焉を意味している。グローバル資本主義によって社会は分裂し世界政治は崩壊した。


「中国に市場を依存する時代は終わった。
世界経済は地域別にブロック化されるだろう。」


「フランスには再工業化が必要である。超消費社会、超都市化は考え直すべき時に来ている。」


「金融市場がバブルを仕掛けなければ、更に世界の赤字が上昇しても世界の終末は来ない。」


「この健康危機は社会の組織形態、個人の自由のあり方を深く変えていく。」


『この危機を乗り越えるのには公的な健康機構をより強化していく事である。」


「経済学からすると、この前代未聞の危機への解答は各国間の連帯協力体制と社会的最弱者への支援にある。」


「中国は全体主義国家であり、ヨ-ロッパは新たな第3世界となる。」


「こういう時期には敵に対する闘争の哲学であるストイックな哲学書を読む事を薦める。敵不安、恐怖、心配、苦悶、裏切り、老い、病気、死に対する処方箋を与えてくれる。例えばPensées pour moi même de Marc Auréle;Sénèque;Lettre à Luciliusなど。
;一人だけとりあげるとすればモンターニュmotaigne;。
彼の「essais」の中に全てが書かれている。」


「自然の中で一日限りの自由の喜びを選んだ羊
健康と自由を選べと言ったら人は健康を選ぶだろう。
時にはしかし、自由は健康より貴重である。
羊は家畜小屋で一生を送るよりよりも、どんな犠牲を払っても大きな自由の空気を求めた
。外には野獣が徘徊している。しかし、危険なしに自由は得られない。
コロナウルスが唯一我々の敵なのではない、それにつづくものがある、恐怖である、我々の抱く恐怖だ。」


「情報の透明性と自由はウィルスと戦うたための必要不可欠な条件である、」


「どんな政府も市民に健康か自由かの選択を強いる事はできない。健康の背後に
隠れて自由を禁止することはできない。人権尊重の国のみが健康と自由を保障することができる。何故なら自由な市民のみが危険を犯す事が出来るからである。」


流石に籠城も一カ月になると疲れと飽きが出てくる。死者数も減少傾向で事態は収束の方向に向かっているようで学校再開はを含め一部の封鎖解除は5月11日と決められた。
日本食品を買えなかったのが辛かった。スパ-はオ-プンしていたが、やはり日本人の味覚とは違う。それでコメ食がパン党に。日本食ののない所では生きられないと痛感。ラーメン、チャ-ハン、かつ丼;天丼; susi、カツカレ-和食弁当などなど、、解禁したら食うぞ。