人間の闇と演劇の力。
口上。悔しいけど携帯から写真移送が不可能状態。修理屋打診後改めてお送りしたい。写真ナシは寂しいですが。
今日の呟き。
暫くぶりのブログになってしまった。見たいことやりたいことが山ほどあリ時があっという間に経ってしまう。何かをを削ればいいのだがなかなか上手く回せない。
加えて今春のパリは日々の温度差の変動が時には5-6度時と激しく、遂に風邪で長々とダウンしていた。人生健康でなければカネなどあっても意味はない。
病気前二人の日本人の死が有力紙で大々的に報道された。
坂本龍一と大江健三郎である。
フランスでいかに高く評価され親しみを持たれていたかが理解できる。
そしてパリのカルチャ-では感動した二本の演劇公演があった。
一つはカルチェラタンにあって欧州演劇を標榜するオデオン座で上演されたシェ-クスピア劇「オセロ」、演出jean françois sivadier。
冒頭はジ-パン姿のオテロとネグリジェ姿のオフェリアがぶらぶらしながらそひそ話している。いつ芝居が始まったのか分からない。しかし徐々にドラマの中にぐんぐんと引き込まれていく。この展開は自然でしかも力強く説得力がある。
また主演級の俳優がみんな凄い。オセロ役はセネガル出身の黒人優俳Adama Diopで粗暴と繊細が織り合わさった迫力ある存在感で引きこまれる。
オフェリア役は若い新進女優Cyril Bothorelだったが、無垢の少女のようなのに肉体は堪らないエロチシズムが漂う。
言葉巧みにオテロの妻に対する妬を煽り立て王妃暗殺を果たさせるイヤ-ゴ役Niclas Bouchaudo。彼は独り舞台の多く上演する人気俳優だが、長セリフを見事な抑揚でまくしたてていく才能には舌をまいた。他の俳優もすばらしかった。
単に嫉妬で妻を殺害した話ではなく当時のベニスにあった黒人に対する人種差別を巧みに織り込んでいたのも面白さを増加させていた。
ラスト、死に絶えていく愛妻を抱きかかえ呆然としたオセロが顔を手で少しづつ白塗りしていく場面は強い印象を与えた。
フランス現代演劇界の層は厚い。仏現代演劇演出家の一人として注目したい。
もう一本はウクライナの女性だけの劇団Dakh Daughersの公演「Danse macabre:死骸ダンス」。場所はバンセ‐ヌの森にある集団創作で太陽劇団のホームグランド。弾薬倉庫を改造したユニ-クな大劇場だ。
名戯曲「作者を探す7人の登場人物」で知られるピランデルロの作品「山の上の巨人」を下敷きにしているという。音楽劇である。
舞台は女優が亡霊にしか見えないくらい薄暗い。死体のように床に死体のように転がっている女性たちや旅行トランクを使ったでの集団ダンス。虐殺や強姦、難民、祈り。
死から蘇生したウクライナ女たちのアナ-キな集団創作とでもいう感じだ。
音楽はパンクロックの生演奏。和太鼓も使われていた。
ウクライの祖先はロシアのスラブ人ではなく騎馬民族のコサックやタタ-ル人だそうだが、彼女たちを見ていると身体的特徴はフランス人と何も違わない。
ラスト、彼女たちは希望を求める。そして全員で国旗を広げファイティングポ-ズした。
観客の中にボロボロ泣いてる女の子がいて胸が熱くなった。
パリにはウクライナからの亡命者が10万人超いるそうだ。
TV.新聞からはプーチンが徐々に袋小路に迷い込みつつあるようで嬉しいが、フランス国内も定年退職年齢改革をめぐって機動隊出動などの社会紛争、安楽死をめぐる議論、貧しさで精神的にも苦しんでいる大学生症候群、議員などさえ襲う暴力事件の多発、コカイン中毒の流行、インフレ物価高による庶民層の生活苦などなど。
マクロン大統領は人気喪失で困難な社会問題は山積みでだ。
目下カンヌ国際映画祭が派手に開催中で日本からは是枝と北野両監督の新作が話題。kお
昔行ってった頃が懐かしいが、今年は世界中から映画バイヤ-が一万3千人超、西欧敵視の中国からのジャ-ナリストの登録数が253人と知って驚いた。
カンヌ国際映画祭は戦後のファシズムに対する反省が誕生のきっかけとなっている。
作品は未見だがベンダ-スのコンペ作品で地道に俳優業をやってるようで好きな役所広司が主演男優賞をとったのは嬉しかった。
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この映画祭はそもそも戦後すぐファシズムに対する反省から生まれたものである。
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