獅子頭伸のフランス情報;パリのつびぶやき。

在仏約40年の経験を生かしてパリを中心とした文化社会情報をお伝えしていきます。k

パリに暮らして40年以上が経ちました。情報誌パリ特派員、日本映画祭のプログラムディレクタ-などをしてきました。恐らくパリに骨を埋めるでしょう。日本映画紹介の仕事は続けています。年齢は還暦過ぎてから忘れています。そんな日本人男が触れる日常や特にカルチャ-シ-ン、またパリから見た日本の事などを書いていきたいと思っています。ヨロシク。

つらい。

長い間ブログを書く事が出来なかった。理由は次々と三カ所の病院で三カ月半超の入院生活しなくてはならなかった為である。最初はコロンタンセルトンという公立の大病院の精神科。
もう約一年前の8月上旬で、コロナ流行で映画館、劇場、レストランなどが閉められ外出禁止の処置がとられたころである。
それまでは意欲十分で元気溌剌だったのに急に体調が崩れ死にたいと思うようになった。
病院で診て貰ったところ原因はメンタルから来てるとの事。
16年前に会社内の争い、フランス人社長との苛烈な利害闘争で双極性精神障害を発病して治療を受けていたが16年も再入院しないできたので、もう障害は乗り切ったと思っていた。
ところが障害予防の為に飲み続けていた薬が体になじみ過ぎて効力がなくなっているから薬を変える必要がある、それには入院治療が一番リスクが少ないといわれたので、イヤだったがそれを受け入れた。
 最初は一週間の入院といわれたが結局一カ月超いた。公立だからなのか食事は信じられなく不味く食べれない時が何度もあり1キロ以上痩せた。
 退院してからも具合が悪いので、電話すると病院に戻って来いという。とても戻る気はせず頑なに拒否するとパッシイという軍事病院に回された。
 ここでの診断の結果、コロナに感染しているのが判明した。看護婦も医師もものものしい防菌服で驚いた。ここにも約一カ月超いた。食事は少しはましだったが不味い事に変わりはなかった。
 苦しい入院生活の後、やっと退院となったと思ったら、すぐ家には戻れなかった。病院と自宅に帰れる前に指定の医院に入院して病態の経過を見る必要があるというのである。それで自分住むバンブ市のクリニックに送られ一カ月半超の入院生活を強いられた。
 結果長い病院生活で家に戻った時は脚が弱体化して普通に歩けなくなってしまっていた。
 それからは杖を頼りに歩き今もまだ週に二回リハビリに通っている。


 老いるという事はツラいことである。体の方々が壊れていく。気がついたらパリに45年近く暮らし気がついたら76歳になっていたという感じである。
 白内障、頻尿、糖尿、血圧、女性はもうダメだし、そして何よりも孤独になっていく。フランス語には全く不自由はしないが、母国語ではないハンデは絶えず感じる。
 日本との関係が希薄になっている事もツラい。もうフランスに骨を埋めるのは確かだろう。
 これも一つの運命としかいいようがないが、時には普通でない運命を受け入れるのはつらいと今更ながらに気がつくのだった。今はどう生きていくかではなく、どう死んでいくかを考える事が多い。
 だがこれが俺の人生だったと後悔はしまい。楽しい事もたくさんあった。人それぞれの人生だ。
 だが過ぎ去ってみればすべては束の間の夢の如くだ。一昨日テアトルに行った時、携帯を掏られたので今回写真の掲載は出来ない。夏休み期のパリは盗みやスリが普段より多くなる。