獅子頭伸のフランス情報;パリのつびぶやき。

在仏約40年の経験を生かしてパリを中心とした文化社会情報をお伝えしていきます。k

パリに暮らして40年以上が経ちました。情報誌パリ特派員、日本映画祭のプログラムディレクタ-などをしてきました。恐らくパリに骨を埋めるでしょう。日本映画紹介の仕事は続けています。年齢は還暦過ぎてから忘れています。そんな日本人男が触れる日常や特にカルチャ-シ-ン、またパリから見た日本の事などを書いていきたいと思っています。ヨロシク。

大統領選討論会やフランス映画史を描いた傑作映画など。

 パリ日本文化会館で、最近では滅多に見られないラジカルなダンス公演「Loss Layers」(コンセプト: Fabrice Planquette   コレグラフ、ダンス: Yum Keiko Tatayama      )があった。

 薄暗い舞台の中央にスッポットライトが射していて白包帯の不思議な物体を照らし出している。一時注目をされたジョ-ジ シガ-ルの人体彫刻の様でもある。しかし、目が慣れてくると、それはダンサ-が膝を抱えてうずくまっているのだと分かる。
 暗黒舞踏のような動きで徐々に起き上がってくる。線状の鋭い光が幾重にも空間を幾何学的に仕切る。音楽は金属音を効果的に織り込んだ実験的な現代音楽のようなもの。
 光線の角度とダンサ-の動きで多彩なイメ-ジが繰り広げられる。激しい音楽の速度にもよくマッチしている。ダンサ-の身体とか顔は殆ど闇に沈み見えず、
 ダンス公演というよりも光線と音楽と人体による動く造形美術展をみているような印象。となるとキャンバスは薄暗い闇となるのか。
 アバンギャルドは死滅したと考えていたのは間違いだった。アバンギャルドは何時の時代にも少数派で生き残っているものかもしれない、と思った。


 カルチャ-シ-ンの他のネタといえば、マルティン スコ-セスの映画「沈黙」と黒沢清の「くらい部屋の秘密」と日米と日仏の合作映画が共に興行的には大コケ、異文化の合作は難しい。成功例は殆ど無い。それに比べて米映画の「ラ ラ ランド」と「美女と野獣」が大ヒットしている事など。


 しかし、一番面白かったには4月4日の中継された大統領選の候補者による討論会。有力候補者だけでなくいわゆる泡沫扱いに候補も含めて全員が参加。その数14人。討論時間は4時間。これだけの規模の政治討論会はフランス史上初めてという事で盛り上がった。
 格闘技の始まりのような雰囲気。会場入りする候補者の紹介の仕方も、デスマッチ風、その興奮ぶりを見ているだけでもワクワクさせられた。権力争いは生死にかかわる問題であるという事を改めて認識させるバトルだった。
 第一回投票は4月23日で極右のペンが首位になる可能性大と言われているが、その他の候補者は第二回投票で全員反ペンで結束するとみられていて極右政権が誕生する可能性は低い。
 舞台作品ではシナリオがあり、そこから外れる事はないが、これはそれぞれが入念の準備して臨んだハイレベル、それも自分の生死をかけた即興劇でもある。
 中にはトロッキストの女性候補もいて議論をかき回していて面白かった。
 
 今夕、カフェとレストランとライブステ-ジ、それに映画館があるアントレポで素晴らしい映画を見た。
 ベルトラン タバニエ-ル監督のフランス映画史のドキュメンタリ-「フランス映画を横断する旅」。ベッケルから始まってルノワ-ル、ゴダ‐ルの傑作への鋭い批評もさることながら音楽についての言及、引用フィルムのすばらしさ。
 やはり一流監督は生半可な映画知識でやってないなと圧倒された。スゲエ。
 パリの春は過ぎていく。間もなくカンヌ映画祭である。完 獅子頭伸

久しぶりのブログ、カンバック

実に久しぶりにブログを書きたいと思った。2-3年ぶりだろうか。
日本映画のプロジェクトで時間がなかった。しかし伝えたい情報があるのにと、欲求不満だった。この無料ブログに出会った事で再開する機会が出来た。


今夕はパリの短歌会への投句を考えていた。
黄水仙 よく晴れた朝 窓辺にて 鮮やかなれば 命のいとしき


厳寒の中で去年アパ-トの窓辺に植えた黄水仙の根球から日々一ミリづつ新芽が伸びていく様子は感動だった。
それが伸び切り黄色の綺麗な花を咲かせている。


フランスは目下大統領選の話題ばかりで、第一回投票では極右のマリㇴ ペンが首位となることが確実視されている。しかし、二回目の決戦投票では他党が結集して対抗する為に大統領に選出されない事も確実視されている。ここがトランプかヒラリ-かのどちっか選択肢がなかったアメリカ大統領選と大きく違うところだ。


だがフランスは暗い時代にある。失業者は約600万人。テロの恐怖もある。


最近、1930年代、ヒットラ-台頭期に書かれスキャンダルとなり退廃堕落の烙印を押され葬り去られた作家erich kâstnerのvers abîmeという本を読んだ。テアトル ソレイユの公演に行った時、偶然に見つけた。
女は簡単に金でセックス転び、失業、絶望感、モラルなし。今の風潮とよく似ていると思った。平安末期を背景にした黒沢明の名作映画-羅生門-で原作以上に画面でよく描かれているように、末世では嘘、デマゴ-グがはびこり真実が見えなくなる。


もう一冊読んだエミ-ル クンドラの最近作-不死-。哲学的で結構退屈だったが、その中で気に懸った二つの文章。一つは曖昧さl'ambiguite=曖昧さ、或いは両義性がなくしては恋愛は成立しない、という事。もう一つは若者は人生を上昇していくものと考えるが、ところが人生というのは一つの事=三つ子の魂 ?のバリエ-ションでしかないというもの。


人生は予期せぬ事の流れで狂う事がある。
戦争がないという保証はない。
それでも黄水仙は廃墟の中からも美しい花を咲かせるだろう。
完 獅子頭伸