shishigashira2017のブログ

パリに暮らして40年以上が経ちました。情報誌パリ特派員、日本映画祭のプログラムディレクタ-などをしてきました。恐らくパリに骨を埋めるでしょう。日本映画紹介の仕事は続けています。年齢は還暦過ぎてから忘れています。そんな日本人男が触れる日常や特にカルチャ-シ-ン、またパリから見た日本の事などを書いていきたいと思っています。ヨロシク。

2018年,中東の幸せな人たち。

 今時刻は22時10分前。隣の徒歩5分の映画館で素晴らしアルジェリア映画を見て感動して帰ってきたところだ。題は「les bienheureux=幸せな人たち」。監督はsofia djama=ソフィア ジャマというから女性である。


 無名なので平凡な作品だろうと。しかし、何故か気持ちが動いた。大収穫だった。涙で胸がつかえる場面があった。有名俳優はゼロ。


 経営するクリニックが順調で豊かな生活をする家族がいる。
 一人息子は社会に希望を見いだせず怠惰な日常を送っている。
フランス郊外の移民系の若者もそうだが、希望がなければ不貞腐れた刹那的な生活を送るのは当然だろう。かつて日本のアニメの有名監督がパリのトークショウで年を取っても希望を求める人間にろくなのはいないと驕り誇った発言をしたが、希望なしに人は生きられない。その監督の方こそロクでもない。
 こういうノ‐フィチャ-の若者が極一部の特権階級層を除いて中産階級上層も含めた大多数の若者に蔓延しているらしいところが深刻だ。


 尤も、これは他国事でなく日本も言えそうだ。
 同国も老人が権力を手放さない長期独裁政権で、政権内部の腐敗はすさまじいと聞いている。状況は似ていると思われるのに、日本にはこうした社会の病理にメスを入れた若手監督の映画作品がないことを考えると、日本の方がより深刻かもしれない。小手先で浅い教養で観念をいじくりまわすような作品が多い、と少なくともパリで見る日本映画にはそういう手合いが目立つ。


 外国で高評価と誤解されている河瀨直美にしても是枝や黒沢清、あえていえば北野武の作品にも幼稚で掘り下げの浅い作品が多い、と思う。井の中の蛙、内弁慶。
  
 自分の名声、それも欧米での反響ばかりが気になって、同時代を生きる日本の他者、社会歪みへの想像力に欠けるから、そういう作品しか作れないのだろう。
 彼らの多くは卑屈な程、フランスやカンヌ映画祭で評価された事ばかり気にしている。


 河瀬の新作「光」が公開されたばかりで偶然に左派系有名全国紙リベラションの評を読んだが、文字通り糞みそ、一言で要約すれば幼稚という事だ。


 話をアルジェリア映画に戻すと、その一人息子が麻薬に手を出したり、そのガ-ルフレンドも親友も夜中になると親のカネを結んで遊びにでかけるのだ。
 母親は、もうこの国は修理不可能なまでに壊れ切っているから、息子の将来の為に国を捨てたいの一念である。
 それに反対していた夫も寛容ゼロの警察官が妻を横暴に扱う現場に立ち会いあい、彼女が国を見捨てて移民することを許す。
 麻薬で投獄された一人息子は警察の上部にいるガ-ルフレンドの父親の汚職と圧力で釈放される。詩織さんの準強姦事件を思い出した。


 腐敗の構造と権力の横暴と、それでも生きなければならない日常生活と。欧米も真っ青の豪華レストラン、知識階級の鬱屈。隙の無い見事な構成で俊逸に描いている。すばらしい。小手先だけの日常脱力映画や底の浅い暴力映画で欧米に受けたと宣伝している日本映画も修理不可能の自堕落に落ち切っている、といえるのではないか。


 昨日はイラン映画で「un homme intégre」という作品を見たのだが、社会問題を押し付けがましく勿体ぶて見せようとする深刻面の駄作。


 ただ、これも地方権力の腐敗汚職が絡む話で、トランプの馬鹿時代で世界には汚職と腐敗が蔓延しているようだ。


 勿論、安部政権が糞溜なのはご存じのとおりである。知っての通りである。欧米で安部は低能トランプの腰巾着としかみられていない。


 この間、国民的ロックスタ-ジョニ-アリデ‐が73歳ガンで死亡した。日本でいえばイエ‐-ロックンロ-ルのお爺さん内田裕也かな。
 この死亡にマスコミとそれに煽られた大衆が異様なフィ-バ-に狂った。ペストの感染、寺山の疫病流行期、中世フランスで発生した猫虐殺現象。熱の感染は恐ろしい。


 真っ白な葬儀車を80台以上のハレ‐ダビットソンが囲んでマドレ-ㇴ大寺院まで送る大演出。エッフェル塔にはメルシイ ジョニ-の電光板。
 tv各局、数時間にわたる特集特集、
 某ニュ-ス番組専門のtvなどは朝7時から一日特集を組むという異常さ。
 フランスのtvも信用できないと実感させられましたね。


 続いてロリタ-ポップ歌手フランス ギャルが70歳もガンで死亡。日本では「私はフランス人形」の曲が知られているかも。


 今我々は1970年代が完全に消え去っていく時期に立ち会っているだ。


 時間が経つのが何故こんなにも早くなったのか。
 子供の頃は日向ぼっこする時間なんてのがあったと思うが。


 ブログを書きたいと思っていて、気がついたら1月ももう下旬だ。
 爺になるばかりで嫌になる。


 全てから解放される老年にこそ自由で平穏な日々が待っているなんてほざいている知識人など信用できない。


 次は大晦日をサラダ食べながらtvを見て一緒に過ごした元パリ5区カラオケバ-の美人ママだったカティアに聞かされた波乱万丈の人生物語を書ければと思う。
 嫉妬で家を丸焼きにされたり昔の愛人の悲惨な最期など、凄まじい。


 不幸せの佃煮のような話である。若い頃の写真をみたがスタ-女優の様なすごい美人で興奮した。







美と奈落のパリ。

 パリは感動する出来事に遭遇する事が多い。
 どうしてなのかな。


 人間のドラマが露呈しやすい文化だからなのか。
 そもそもドラマティックな都会だからなのか。


 自宅の最寄り駅「marakkof plteux de vinves 」の連絡通路の真ん中あたり。
 ダンボ-ルを敷き壁を背中にして何時も座っていた初老のホ-ㇺレス女を見ないなと思っていたら-。
 数日後、女の居場所に深紅や黄色のバラなど数本の花束が添えられいた。
背にしていた壁には、その女性の写真と手紙が貼ってある。


 「22年間、ここに居続けたモニカが心臓麻痺で急死しました。冥福を祈りたいと思います」


 モニカという平凡な名前があったんだ。
 しかも、「22年間もいた」。


 彼女は人間だったんだよ、と急に言われたようで虚を突かれた気持ちがした。


 張り紙は誰がしたのか。
 名前を知っていて写真も撮っているのだから親しかったに違いない。


 時々、黙々と煙草を吸っていた。
 何かしゃべってるのは見かけなかった。
 ただ座っているだけ。飼主に置きざれにされた犬のような哀れな目線をしていた。


 モニカにとって22年という時間=人生はなんだったのだろうか。


 この事件があった後、有名全国紙「liberation」を買ったら、一面3ペ―ジでホ-ㇺレスのルポ記事を掲載そていたので驚いた。


 それだけ社会現象化しているという事だろうが、街路だけでなく社会福祉保護施設でも
女性ホ-ㇺレスは同じ仲間に強姦されるとあった。悲惨だ。


 オペラ座でのダンス公演「programme Theshigawara/Balanchine/ Bauch」(10/10-16/11.Operadepadeparis.fr)を見た。


 平土間観客席(高額席)は贅沢で華やかだった。
 満員でブルジョワとエリ-トの匂いがした。


 最前列から2列目の招待席だった。


 周囲は紳士淑女ばかり。高級そうな服装や外套。
 高価な宝石のネックレスが光に煌めく。いい香りの香水。
 仕立てのいい服装をした令嬢らしい女の子などなど、


 パリ上流社交界の人々である。


 こっちは貧乏だが特に引け目は感じない。着ている中国ジャケットが実は移民街で買って僅か14ユ-ロしかしないと知ったら、どういう顔をされたかは不明だが。
 服に商品札がついているわけではない。それにセンスでは高級服に身を包んだ輩よりも上だという自信がある。


 着飾ってはいるけど実は台所が火の車という連中もいるに違いない。見かけだけでは分からない。


 カンヌ国際映画祭などでは、タキシ-ド姿で派手に振舞っているがホテル代を踏み倒す連中がいるし、ロ-ルスロイスを乗り回している映画プロデュ-サの自宅は裸電球一つという例もある。


 一作目はlincoln kirstein振付「un ballet"ibm"」。
 いや-完璧な美しだ。
 男女6名で12名のバレリ-ナが交互にデュエットで踊る。手と脚は細くて長く、スラリと細く繊細。精緻な硝子細工みたいである。


 いくら体が西欧的になったといわれても、日本のバレリ-ナにはこの感じは出せない。無理、無理。身体の民族性が違う。
 訓練でどうにかなるという線を越えてしまっている。天の賜物というしかない。


 洗練され優雅な別れと抱擁の動き。一切に雑さがない。高密度。高技術。
 指先の微細な動きも正確に決める。陶酔した。


 舞台は背景に真っ青なスクリ-ンがあるのみ。白と黒でシンプルな白と黒のダンス着。 ミミニマルア-トだ。都会的なセンスも魅力。優雅な美にただひたすら息を呑む。


 2番手は日本の勅使川原三郎が今公演用に創作した新作。
 前作の流麗さとはうって変わって、難しそうな動きで構成。饒舌に対してドモリと言う感じ。でもさすがは世界一流のオペラ座ダンサ-だ。
 難解な振付を見事にこなしていた。しかし、全体に頭でっかちのバレ-作品という印象を受け、すごいなという気はしたが、音楽も重く暗いもので、親しみを抱き大好きになるようなものではなかった。でも、同氏は世界第一線にある一流振付家として認知去れた事になる。


 最後3番手はピナ バウシュの遺作、ストビランスキ-作曲音楽「春の祭典」。
 信じられないすばらしいバレ-作品だった。
 初めから最後まで感動のしっ放し。すごい。
 ソロダンスと祭典の群舞の組みあせ。もう言葉にならない。


 ピナは神なのだと思いましたね。バレ-と音楽に全く隙がない。ピッタリ。「春の祭典」はこの為に作曲されたとしか思えなかった。


 舞台奥から蟹股みたいな動きで群舞が徐々に前に進んでくる場面の圧倒的な面白さ。
それは真の天才だけに許される独創性だ。


 ラストシ-ンではオペラ座女性エトワ-ルの一人「 EMILLIE  COZELLE」 (1993年、ダンススク-ル入学)が激しくソロで延々と踊り続ける。
 圧倒的なド迫力で感動し昇天した。鳥肌がたちっぱなしだった。


 すごい、すごい、すごい。感動。至上の美の世界である。
この舞台を見られて、ホントに長生きしていてよかったと思った。
 オペラ座周辺の夜景がおとぎ話のように見えた。
 全てが美しかった。
 パリは美しい。



 後日、ビストロ「静かなお父さん」でカフェ一杯の後、外の出ると僅か数メ-トル先の街角で、盲目の黒人青年が白い盲人用の杖を片手に歌を唄っていた。すごい歌唱力である。


 これってルイ チャ-ルズじゃないかと思った。


 人だかりはあっという間に膨らんでいく。誰も立ち去ろうとしない。感動で離れなくなっている。群衆が粗末な箱にどんどんカネを投げ込んでいく。10ユ-ロ札も見えた。


 選曲もいい。そして自然発生した夜の野外コンサ-ト会場と化したのである。


 日本のマスコミで名を売っただけの芸能人や歌手に無名前提で、これだけの場を作り出せる実力者がどれだけいるだろうか。芸能の原点を見せられた思いがした。 


 感動して気がつくと寒風吹く中、2時間も立ちっ放しで聞き続けていた。


 最後に彼はリビアでの黒人奴隷売買に言及してスティ-ビン ワンダ-の「ハッピ‐デイズ」を心こめて歌う。観衆は合唱した。自然に涙が出た。


ps。
 先日、マクロン大統領は在任中の重要課題として、レイプ、セクハラに対する政策を宣言した。
 告訴の簡素化、泥酔でも明確な合意がない場合はレイプ認定、15歳以下はどんな場合でも合意の性交は認めない。などなど。


 それを受けて女性の告発、証言が増えているが、驚くのはフランスって父親が娘を犯し続けるっていうのが多いんですよね。日本でも隠れているだけで、多いとは思うけど。


 シャンゼリゼ大通り界隈で、18歳くらいの可愛い黒人少女娼婦に声をかけられた。


 一発150ユ-ロ、フェラだけだったら65ユ-ロ、自宅訪問なら200ユ-ロだとか。


 寒風の夜の黒い娼婦マリア。こんな純情そうな少女が金持ち爺に買われるのかと思うとやるせなく怒りがこみ上げる。


 尤も自分も懐が暖かったら、買っていた可能性大だ。


 淋しそうな微笑はとても綺麗で、素敵な体をした黒の天使だった。完

歴史の転換期と芸大美人女子学生ジュリエットとの出会い。

 小池百合子の希望の党が敗北したニュ-スを聞いて、やっぱなんとなくアラブっぽいな、という感想をもった。先入観にとらわれすぎかもしれない。
 彼らは立技の攻撃は勇猛だが寝技となると結構脆い面があるから、と思う。
 自分の体験である。


 安部自民党が大勝したが各フランス有力全国紙の扱いは小さかった。
 中国共産党全国人民大会の三分の一にも満たない。フランスで中国の存在感は増す一方である。15年位前とは様変わりだ。最早「ジャパン、ナンバ‐ワン」と胸を張って歩く日本男児はどこにも見当たらない。むしろ中国人と混同されて腐ってるだろう。
 知識人の有力全国紙ルモンドは安部は戦犯の祖父岸信介からの流れを汲むを歴史修正主義者であると規定。その分析記事を一面で掲載した。
 
 丁度その頃、第二次戦時下の日本文化を研究のテ-マにしているという可愛いチュニジア女子学生と議論した影響で、ネットで小林正樹の「東京裁判」を朝3時まで見てしまった。
 大政翼賛会の結成とか戦争に至る経過がよく似ているなと思った。
 歴史はやり二度繰り返すのか。


 目下パリは華やかな芸術の秋の真っ最中で、今季は天候もよく街も美しい。
 テロのリスクは絶えずあり戒厳令は解除されないままだが、芸術界も国際的で多彩多様な豊かさ。  
 地上で楽園を探すとしたら、それはパリではないかと、時々思う事がある。


 隣のスペインでは歴史的大事件が起こっている。カタロニア州が独立宣言。大変な事になっている。フランス側でも国境を接するパルピニオンなどの都市は文化民俗学的にはカタロニア文化圏で独立派を支援している。
 スペイン戦争で独裁者フランコに迫害されてフランスに逃げ移り住んだ人も大勢いる。
 
 高級ホテルでコンセルジュをしている知人のスぺン女性は「自分はカタロニア人で、政治の話はしたくないが、独立派の気持ちはよく分かる」といっていた。


 誰しもがまさか武器による内戦はないどろうと信じているが。
 歴史だって人間の運命だって一寸先は闇。情勢は時間の経過と共にどんどん袋小路に追い詰められたいる。全く先が読めない。
 
 独立宣言をしたカタロニアの州知事はベルギ-に逃げ込んでいるが、スペイン政府は国際指名手配した。ベルギ-政府が国際条約に従って身柄を引き渡せば反逆罪で20年は投獄されるという。
 フランスもバスク地方、ナポレオン生誕地コルシカ島などで武装独立派の動きがある。決して他岸の火事ではない。
 世界の地理政治情勢がどんどん変化している。歴史はどう動いていくのか。
 
 我々が世界史の曲がり角にいるのは確かだと思う。


 文楽公演の開演をカフェのテラスで待っていた美しい芸術大学の女学生と知り合った。 少し離れた向い側のテ-ブルにいた。
 
 細身の繊細な身体とシンプルでエレガンスな服装で、すぐに美しいと目についた。
 
 さすがに年齢差を考えると話かけて見る気にはならなかったのだが、去年半年日本にいいたという話が切っ掛けになって会話が弾んでしまったのだった。


 ドレス風の服の割目の裾からすんなりと伸びた足を組み替えた時、エロティックな太腿を見てしまった。綺麗な脚だった。抑えていた気持ちが一気に緩んでしまった。

 名前はジュリエット、芸大生で専攻は映画だとか。
 
 東京に去年半年滞在したことがあり、来年も何処か勉強の実習が出来るところが見つかればやはり半年くらい東京に滞在したいという。
 
 調子に乗って齢の差など忘れてメイルアドレスを聞き、後日の映画に誘ってしまった。
 さすがに来ないだろうと期待しないでいたら彼女は来た。


  カフェのテラスで向き合ってみると、顔の線が繊細で、何しろ瞳が格別だった。
  フランス人には珍しい東洋的な細目で瞳は澄んだ青。切れ目から見渡せる美しい湖だと思った。


 映画館から出て、トイレの間待っていて貰ったのだけど、この時に離れて見た立姿がまた華奢でエレガンスで格好よかった。

 これからも時々会う約束をした。
 
 しかし人生は残酷だ。それ以上に発展する事がないのはわかり切っているのだから。
 恋人になる筈がない。
 それでも会いたいのは、どこかすばらしい芸術作品を何時までも鑑賞していたい気持ちと似ている。


 美はその存在自体だけで嫉妬を抱かせものだ。
 恐ろしい破壊力「三島由紀夫の事例」も秘めている。


 彼女と外出すれば、美を前にして苦しむのは分かり切っている。
 若い男と親しく話しているのを見かけたら、権利ゼロでも嫉妬に狂うに違いない。
 
 それでも苦しみの方を選択した。再びこの美しさといたいという強い欲望。


 ビスコンティ-の名作映画「ベニスに死す」を見たことがある人なら、この非情な真実を理解できると思う 。
 
 ちなみにパリシネマテクでは同監督の大回顧展が開催、「地獄に堕ちた勇者」などキャパ「300席」の倍近くのファンが来るなど、大反響を呼んだ。


 パリが愛の都会なのは、ジュリエットの時のように、年齢差に屈託しない男女の思いがけない出会いがあるからだろう。


 自分もせめて40歳前後であれば彼女に恋を仕掛けたいと思うが、さすがに、ああもう還暦も過ぎてしまった。人生も運命も残酷だ。


 パリジャンヌには気紛れな子が多いから、彼女もある日突然約束に来ない時が来る気がする。それもどうしようもない事だ。


 「ベニスに死す」で美少年に魅了された初老知識人が必死で厚化粧をしていくが、その姿は美の虜になった人間のどうにもならない欲望の残酷さを見事に描き出している。