獅子頭伸のフランス情報;パリのつびぶやき。

在仏約40年の経験を生かしてパリを中心とした文化社会情報をお伝えしていきます。k

パリに暮らして40年以上が経ちました。情報誌パリ特派員、日本映画祭のプログラムディレクタ-などをしてきました。恐らくパリに骨を埋めるでしょう。日本映画紹介の仕事は続けています。年齢は還暦過ぎてから忘れています。そんな日本人男が触れる日常や特にカルチャ-シ-ン、またパリから見た日本の事などを書いていきたいと思っています。ヨロシク。

南仏ぺリグ-地方の夏休み






 手帳を特に選ばずに買って開いてみたら8月の日付がなかったので驚いた経験がある。
別に不良品だったわけでなく真夏がすっぽりりと抜いてあったのである。


 フランスも一年は世界と同じように1月1日から12月31日で終わる。しかし、学校も劇場も美術館も1シ-ズンは9月から始まり翌年の7月末と考えられている。8月に長い休暇をとる国柄でなくては考えられない手帳という訳である。


 もう40年来の友人にアルジェリア出身のモアがいる:
収入になる演劇の仕事はなきに等しいが、それでもめげず70歳になった今もアンダ-グランドの演劇活動を続けている。それが続けられるのは本人の情熱もさることながら彼の奥さんの稼ぎが抜群だからでもある。


 彼女は一流科学月間3誌のジャ-ナリスト兼発行人だけでなく大学のジャ-ナリスト養成学科の講師、一流出版社の科学書選択アドバイザ-として働いている。


 その彼女が今夏は南仏にある実家で夫と過ごす夏休みに誘ってくれた。二人とも40年近くの友人だ。


 地方の名前はペリグ-。パリからTGVで南に3時間半くらいの所にある、
森林地帯で樹木の葉の色合いの違いで、黒、白、赤のペリゴ-と分けて呼ばれている。
川が流れていてカㇴ-遊びも盛んだった。


 彼女の実家はもとは広大を所有する大地主で父親は地元の有力な代議士だった。地方の貴族階級といっていいだろう。
 事実、広い花園の手入れや洗濯、家の掃除に来るパートタイムを今も雇っていた。


 豊かな家庭生活だった。食事は毎回必ず全員揃って丸いテ-ブルで食べた。
食器も綺麗で、それぞれ専用のものが与えられていた。
 食後天気が良い日は花園前の円卓を囲んでブランディやウィスキ-、ウオッカ、パス


ティス、カシスなどを飲みながら深夜迄雑談した。


 また家庭料理がとても美味しかった。滞在中12日間の全ての料理を取り上げる訳にはいかないので、特に印象に残った食事を2-3紹介いておきたい。


-鳥の睾丸焼と新鮮なグリ-ンサラダ。市場で買って来た鳥の睾丸の部分を適度の油でこんがりと焼く。味もしつこくなくさっぱり。それに残りの焼汁をかけた。地元の新鮮なサラダとの組み合わせが抜群。


-pintadeという鳥のロ-ス焼き。焼く前にこの鳥にまぶした自家製らしい調味料が最高の味を作っていた。
-クスクス。アラビア料理。細かい小麦粉を長く蒸す。人参や蕪などの入った独特の野菜う-プを作る、最後は羊、牛肉、鶏肉、或いは血の腸詰マルゲスなどをバ-べキュいたものを盛って食べる。友人モアは前日から仕入れ、丹念入念に料理。天にも昇る味だった。
デサ-トは何種類ものチ-ズかメロンなどのフル-ツがお菓子。


胡椒も塩も自分たちですりつぶいていた。


フランス人の生活の豊かさを強く認識する思い出となった。