獅子頭伸のフランス情報;パリのつびぶやき。

在仏約40年の経験を生かしてパリを中心とした文化社会情報をお伝えしていきます。k

パリに暮らして40年以上が経ちました。情報誌パリ特派員、日本映画祭のプログラムディレクタ-などをしてきました。恐らくパリに骨を埋めるでしょう。日本映画紹介の仕事は続けています。年齢は還暦過ぎてから忘れています。そんな日本人男が触れる日常や特にカルチャ-シ-ン、またパリから見た日本の事などを書いていきたいと思っています。ヨロシク。

異邦人の孤独なパリのイブ。

 



恐らくパリで外人が寂しい寒さを感じるのはクリスマスの時だろう。大半のフランス人は家族と共に過ごすために帰郷する。
 それに今冬の寒さは尋常でない。


 高等学院のデザイン科の4年生で来年22歳で卒業する娘が父親を心配して聞いてきた。「qu'est ce que tu compte à faire,tous seule à paris?」と。
 答えは「教会にモ-ツアルトのレクイエムを聞きに行く。」である。
 8年前に仏人の妻と離婚して以来、大抵はミサの前に組まれるクラッシクコンサ-トを聞きに行くのが恒例となった。孤独を格好良さに変換してるつもり。


 だが今年はモ-ツアルトのレクイエムはどこでもやってなかった。
 シテ島の真ん中にあるパリ大裁判所の入り口にあり必見の観光名所でもある華麗なチャペル、「サン ジュリアン」ではシュ-ベルト、プッチ-二、ベルリオ-ズ、ベルディ-、サティと曲目が粒揃い。
 一番行きたかったが、入場料がなんと一律一万円もしたので諦めた。 
 結局カルチェラタン5区のチャペルでバッハのコンサ-トがよさそうなので行く事にした。
 チャペルは40分歩き回りやっと探し当てた。



 当然だった。普通の 街並みの奥まった一角にひっそりとして立っていた。気づかず2度も通り越していた。
 小さな前庭の向こう側に美しいチャペル正面扉があった。


 初老の切符売り担当者はもう超満員だからと断ったが、粘ったら「なら自分で見て見ろと」と不愛想面で入れてくれた。結局、無料。
 内部は古色蒼然としていた。創立以来のまま、これでやってます見たいな感じというか。
 あのキリスト像もカソリック風のごてごてした装飾もなく質素でさっぱり。タイムトンネルでいきなりフランス中世に入り込んだようで感動した。
 プロテスタントのチャペルだったに違いない。
 バッハはチェロでの演奏だったが素晴らしくじっと聞いていると泪がこぼれて来た。キャパは100席程度か。聴衆もプロ中のプロらしい。じっくりと聞いている。
 拍手のツボをよく分かっていた。ブラボ-は長く続いた。



 ここから出て、有名な中華店で焼鴨ラ-メン-、10ユ-ロ。始めて食べたのは30年以上も前だが美味さが変わらないというのがスゲー。
 サンミッチェル広場に下って行くと、アラブ系らしい若者がエレクトリックギタ-の独奏で凄まじい寒風の中でアラブロックを歌っていた。感動したので少し立ち話。名前はセリ-ㇺ。
 サンミチェル大通りからセ-ㇴ岸に向かって歩いていくと、家族のホ-ムレスが目についた。あの子供達にはどういう未来があるのか。
 パンパンに膨らんだリュックを背負い、家財道具の一切を詰め込んでいるらしいトランクを引きずりヨタヨタと歩いていく老婆とすれ違う。誰にも何にも目を向けない。もう死んでいた。
 パリのイブの夜は昼は疎外されているアウトサイダ-達が主役となっている暗黒世界の不可思議だった。



 目的地のユースタシュ教会に着くと-。
 ショッキングな光景に遭遇した。教会左翼入口前の空き地に大勢の貧しい人々が群がっている。教会の無料食事支給を待つ人々の大行列だった。アジア系の人々も目立つ。
 カラジニコフで武装した兵士も歩哨に立っていた。
 ボランティアで貧困援助の活動に参加しているという若者サムと話しを交わすチャンスがあった。彼はなんと19歳でしかなかった。物欲に右往左往する若者がめだつ現社会で。とても新鮮な出会いだった。彼は輝いていた。
 友人に一流ジャ-ナリストがいて稼ぎがいいだけでなく、ニュ-ヨ-ク、北京、オ-ストラリアなど、文字通り世界を股にかけた仕事しているが、彼女の息子は20歳の頃からその彼女の援助で自由気ままに生きていて、現在は世界の遊び人の裕福層が集まっているスペインのイビザ島で、オランダ人美女と同棲しながら作曲に没頭すると宣言しているが-。この二人の若者の生活と思想の差は天と地の違いである。




 教会でのミサは例年の型通り22hから始まり無事24時には終了した、
 聖歌がなければモ-ツアルトもドビッシイ、更にはベルディ-、プッチ二-シュ-ベルトも存在しなかっただろうと思いながら聖夜を過ごした。
 あの少年合唱団の美声は天上にいる天使のものであり、キリストの神父に稲垣足穂並みの美少年愛好者が多いのもうなづける。




 高級服のいかにも金持ちらしい夫人が寄付で蝋燭を買って外に出てきた。
 微風が吹いていて灯がきえそうになると、手で囲い守りながら「これは魂の光、消しちゃダメよ」とはしゃぎながら小走りに去っていった。
 教会前の公園に一角に誰の作品か、握りこぶしの大彫刻が置いてあり、夜見ると圧倒的な重量感で迫力があるが、平らに削られた親指側面に大文字の落書きがあった。『イエス キリストよ。助けたまえたまえ」





 この教会内部のシャペルには幼いイエス キリストを片腕で抱き上げたマリアのtrés belle,美しいブロンズ彫刻がある。