パリは季節のない町
僅か約20ユ-ロの小切手が不渡りになり仏中央銀行から取引停止処分を受けた事件は一件落着した。しかし銀行がなんの予告注意もなく不渡りにしのは許せないので、少しくらい長引いても戦うつもりでいる。
しかし余禄もあった。
事情を知った市の福祉課が4週間に渡って週50ユ-ロを現ナマで支給してくれる事になったのである。ありがたい話である。
ところが今度は同じ銀行の系列であるインタ‐ネット プロバイダ-から1万円という法外な請求があった。支払はなければ接続不能にすると脅かす。
何でそんなに高いのか聞くと、2017年1月に俺からの申請でより料金の高い契約内容に変えたからだという。そんなことを頼んだことは一切ないというのに、コンピュータの画面に出てくるからと言い張り続ける。頭にきた。
客の言い分よりもパソコンの記録の方を完全に信じ切っている。機械というものはちょとした作動の違いで間違った情報を残すこと事もあり得るという想像力を完全に欠いてしまっている。
担当者の頭がもうロボットとして訓練されてしまっているのだ。
また一戦構えなければならないのかと、考えただけで憂鬱になるが、ここは戦わなけれは居場所を失う社会だから。やるしかなし。
日本人の謙虚さなど考えていたらとんでもない目にあわされる。
フランス人の脳内には謙虚の部品など組み込まれていないである。
銀行の事件が切っ掛けとなって、スタインベックの名編「怒りの葡萄」を読みたくなった。仏語版しかないので読了には時間がかかっているが、すばらしい。
今、欧米では難民が大きな問題となっているが、米国の内部が生み出した悲惨な国内難民の歴史があったのである。胸に詰まる場面が幾つもある。
この夏のパリ近郊の天候は最低だった。雨で寒い日が多かった。
泉谷しげるは「季節のない町に生まれ、季節のない町の育ち、」と歌ったが、それはパリの町にも似ている。
8月も末。もう長い夏のバカンスは終わり。
9月に入れば芸術シ-ズンの幕開けで、演劇、映画、美術、音楽の華やかな出し物が目白押しになり、バカンスでレフレシュしてきた美しいパリジャンが目立つようになる。
かくしてフランス人の人生は過ぎていくのである。完。
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