獅子頭伸のフランス情報;パリのつびぶやき。

在仏約40年の経験を生かしてパリを中心とした文化社会情報をお伝えしていきます。k

パリに暮らして40年以上が経ちました。情報誌パリ特派員、日本映画祭のプログラムディレクタ-などをしてきました。恐らくパリに骨を埋めるでしょう。日本映画紹介の仕事は続けています。年齢は還暦過ぎてから忘れています。そんな日本人男が触れる日常や特にカルチャ-シ-ン、またパリから見た日本の事などを書いていきたいと思っています。ヨロシク。

生きる。

 




パリに日本映画のきちんとしたイベントを作ろうと動き始めていた。
既にパリにはキノタヨウという奇怪な名の日本映画祭がある。これは15年前に僕がブザンソン市の観光部長と組んで実現に漕ぎつけたものだ。代表には地方議会にコネがあるという事で、62歳位だった老人モトロを引っ張ってきた。これが失敗だった。素顔は虚栄心と意地汚さの塊のような人物だった。しかも不運な事に小生は企画実現の日に過労で倒れ長期入院、相棒の観光部長は追い出されてしまった。キンタヨウという奇怪な名称は名前はle soleil d'or=真っ赤な太陽にしようとモトロが主張、日本語ではどう言うんだと聞いてきて、極度に疲労しいたから直訳で金の太陽と答えたらモトロは「ん」の発音が出来なかったので意味不明の名前となってしまったものである。これを訂正する日本人が誰もいなかったというのも驚きだ。
改めてパリに真面目な日本映画祭を作る必要があると思う。


 ところが長い間苦しんできた頻尿治療で膀胱の手術をサンジョセフ公立病院でする事になった。


 さすがはフランスである。病院では各エキスパ-トによる分業システムが合理的で空きなく機能していた。看護婦も何人もが交互に来た。患者運搬係とか麻酔スタッフとか組織は完全独立分離、それが院内で見事に連携していた。フランスはエキスパ-トで組まれている国家だと思った。


 手術は麻酔で眠っている間に終わった。手術は未だですかと聞いたくらいだ。しかし血の石が尿循環を阻害しているという理由でそれを掃除する2度目の手術があった。結局、入院は3泊4日。


 人生のいろいろな事を考えた。
死が刻々と近づいていると感じ、自分の人生の幸福と不幸せの割合パ-セントについても考えた。若い時、他人につけられた傷やコンプレックスの傷が思い出の中で疼いた。
 数々の愚行、セックス出来なかった女たちの事。


 老いれば枯れると信じていたが、とんでもない。欲望は変わらず苦しめる。
いい事もあったが、総じて人間は残酷だ。


  テレビでは自分がパリに来た頃、生まれていなかったり赤ん坊だった連中が興奮気味に議論している。時代は完璧に変わった。消えていったフランス美人映画女優の顔などが浮かんだ。


 なにをいっても考えても、やり直しは出来ない。vous avez veçuである。
死に向かって歩み続けるのみだ。


 それでも入院前のこの間は大規模なパフォ-マンスと女性ダンサ-のソロダンス、と二つの公演に感動した。
  一つはパリで最も先駆的な美術館PALAIS DE TOKYOで行われた独の女性ア-ティストAnne Imhofの一大パフォ-マンス。
 出だしは美術館前に若者がモ‐タ-バイクで騒音を立てて走り込んでくる。列を作って小雨で寒い中で入場を待っていた観客は大勢で300人位か。普段見かけるパリっ子とは違って髪を染めたり、パンク風や独特の風采の人が目立つ。パリにこうした人たちが大勢いる事に驚いた。会場に入ると女性を中心に数人の若者が出張った壇上で演説をしている。
 それが移動していくと地下スぺ-スのある広い館内のあちこち,で、パンクロックや絵画展、 裸体でザクロを食べ続ける女や床を這う男女など様々なパフォ-マンスが多数のパフォ-マ-によって同時多発的に行われる。ユニ-クでこういう大集団パフォ-マンスは初めて見た。
 内容は現代対する悲観に彩られていたが、一つの事件を作り出す事に成功していた。


 もう一つはパリオペラ座ダンスのエトワ-ルだったMarir Claude Pietragallaのソロダンス公演「la femme qui danse=踊る女性」。
 優雅で繊細で知的。空間で泳がす羽毛のように軽い白い布も使い方も綺麗で巧み。彼女の身体はスリムで美しかった。さすがは元パリオペラ座のプリマドンナ。演出はモダンで鋭角な光線を様々に駆使して飽きさせない。巧く闇も作っていた。それになによりダンスの基本が本物だった。迫力があり美しいソロモダンダンスの公演でとても魅了された。



 やがて俺自身の一幕喜悲劇も幕を閉じるだろうが、ただただ今祈っているのは二人の子供たちが幸せに生きていくことである。