パリの往生際
いきなりコレを書きたくなったのは死神がアパ-トの入り口に来ていると思うからである。
象は死を感じると象の墓場に自ら行くと言われるが、人間も同じだと思う。
少年の頃、後何日で地球が滅びるとしたら何をするという問いかけがあったが、答えは死を待つだ けであると今分かった。
自分がどう死ぬかは予測がついている。
脚が悪いから、ある日転倒して、それでこと切れるのだと思っている。
近所の婆さんもそうして逝った。
発見者は毎朝来てくれる美人看護婦だろう。
馬鹿げた学歴コンプレックスも他の様々な苦しみも全ては灰となる。
穢土とはバイバイだ。
心残りは二人の子供に死の始末の負担をかけることである。
昨晩ラジオを聞いていたら21m平方の部屋に五人で住んでいた人の話をしていた。
いろんな欲望が渦巻く現世は、それ自体で既に地獄なのかもしれない。
ボッシュの絵画作品が示しているいるように。
近所に俺はもうくたばりて-と、一日に何度か叫ぶ狂った老人がいる。
歳を聞いたら82歳とか。
娘は60歳を超えたという。
人間の苦しみはフランスも日本も変わらない。
だが救いがあるとすれば人間には愛と希望があることだろう。
しかし、それさえも死の絶対を前にしては空しく感じる。
昔、愛があれば大丈夫という名のcdromの会社があったが、会社は破産したようだ。
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