獅子頭伸のフランス情報;パリのつびぶやき。

在仏約40年の経験を生かしてパリを中心とした文化社会情報をお伝えしていきます。k

パリに暮らして40年以上が経ちました。情報誌パリ特派員、日本映画祭のプログラムディレクタ-などをしてきました。恐らくパリに骨を埋めるでしょう。日本映画紹介の仕事は続けています。年齢は還暦過ぎてから忘れています。そんな日本人男が触れる日常や特にカルチャ-シ-ン、またパリから見た日本の事などを書いていきたいと思っています。ヨロシク。

パリ、異邦人のクリスマス





フランスで外国人の多くが孤独を感じるのは、今のクリスマス時期だろう。
老人であれば余計だ。


クリスマス、フランス人は殆どが家族と過ごすのである。
恋人同士であってさえ、それぞれが家族の元に帰るというのは普通のことなのである。
異文化を理解するということは複雑で簡単ではない。フランスは最も個人主義の強い国というのが定評だが、このように一方で強い家族の絆の結びつきも確固とした伝統としてあるのだ。


クリスマスの前夜イブはプレゼントとクリスマス料理で家族の食事。
今年は新種コロナの急速な大量感染で、参加人数を減らした家族が多かったらしい。


食事後、信仰実践者は教会のミサに行き讃美歌の合唱に参加する。そうでない家族はゲ-ムなどで遊ぶかテレビを見る。


毎朝来てくれる3人の子持ちの美人看護婦は36歳という事だが、ポルトガル人の夫と自分の両親の両方でイブをやったそうだ。ポルトガルのクリスマス料理はデサ-トを沢山作るそうで、とても食べきれないと幸せそうだった。


クリスマス料理は各家庭で少しづつ違うようだが、牡蠣、七面鳥丸焼き、フォアグラは不可欠で、デサ-トにチョコレ-トは必須になっている。







去年のクリスマスはコロナに感染したのでクリニック病院にいた。
 入口には大きなクリスマスツリ-があり、よくそれを眺めて過ごした。


 その前のクリスマスは、幼い2人の子供は別れた妻の実家のイブに行くので、後日、2人の子供と親子3人で簡単なパ-ティ-をしたものだったし、淋しいと教会のクラッシックコンサ-トやミサを聴きに行った。


 今年のイブはすごく寒く、冷たい小雨が降り、気持ちが動かないまま、どうするか迷っている間に結局は何処にも出かけないままで一人で過ごした。


 朝は半世紀も前にロンドンで見て感動したミュ-ジカル「キャッツ」のCDを聞いたが、すごい。当時の感動が胸に迫ってきて当時の事を思い出して感無量になった。心は古びないのだ。


 豊かで幸せそうな生活している諸々の有名人のクリスマス、一家団欒のぬくもりのありそうなイブ。そんなニュ-スを見たり聞く度に孤独を感じ寂しかった。フランスの貧富格差も激しい。
 こんな気持ちはをイブに抱くのは祖国を離れ異国に生きる異邦人だからかもしれない。


 





クリスマスの夜、シャンゼリゼ大通りを一人歩いてみた。


 凱旋門 らコンコルドまでの広い街路の並木を無数の赤い極小ランプが飾っているイリュミネ-ションは美しく素晴らしく,それを見に来る人でかなりの人出だった。.


 特にイブサンrロ-ラン、ヘルメス、イブサンロ-ランなどの世界に名だたる高級ファッションブツックが隣接するモンタニュ-通りは豪華な夢の世界だった。


 だが同時にイルミネーションが見事で綺麗に輝いていればいるほど孤独を深く感じた。


  あなたは幸せ、それとも不幸せ ?
  
   フランスで日本人に限らず一人で死んでいく異 邦人を多く見て来た。
  運命である、受け入れるしかない。

生きる。

 




パリに日本映画のきちんとしたイベントを作ろうと動き始めていた。
既にパリにはキノタヨウという奇怪な名の日本映画祭がある。これは15年前に僕がブザンソン市の観光部長と組んで実現に漕ぎつけたものだ。代表には地方議会にコネがあるという事で、62歳位だった老人モトロを引っ張ってきた。これが失敗だった。素顔は虚栄心と意地汚さの塊のような人物だった。しかも不運な事に小生は企画実現の日に過労で倒れ長期入院、相棒の観光部長は追い出されてしまった。キンタヨウという奇怪な名称は名前はle soleil d'or=真っ赤な太陽にしようとモトロが主張、日本語ではどう言うんだと聞いてきて、極度に疲労しいたから直訳で金の太陽と答えたらモトロは「ん」の発音が出来なかったので意味不明の名前となってしまったものである。これを訂正する日本人が誰もいなかったというのも驚きだ。
改めてパリに真面目な日本映画祭を作る必要があると思う。


 ところが長い間苦しんできた頻尿治療で膀胱の手術をサンジョセフ公立病院でする事になった。


 さすがはフランスである。病院では各エキスパ-トによる分業システムが合理的で空きなく機能していた。看護婦も何人もが交互に来た。患者運搬係とか麻酔スタッフとか組織は完全独立分離、それが院内で見事に連携していた。フランスはエキスパ-トで組まれている国家だと思った。


 手術は麻酔で眠っている間に終わった。手術は未だですかと聞いたくらいだ。しかし血の石が尿循環を阻害しているという理由でそれを掃除する2度目の手術があった。結局、入院は3泊4日。


 人生のいろいろな事を考えた。
死が刻々と近づいていると感じ、自分の人生の幸福と不幸せの割合パ-セントについても考えた。若い時、他人につけられた傷やコンプレックスの傷が思い出の中で疼いた。
 数々の愚行、セックス出来なかった女たちの事。


 老いれば枯れると信じていたが、とんでもない。欲望は変わらず苦しめる。
いい事もあったが、総じて人間は残酷だ。


  テレビでは自分がパリに来た頃、生まれていなかったり赤ん坊だった連中が興奮気味に議論している。時代は完璧に変わった。消えていったフランス美人映画女優の顔などが浮かんだ。


 なにをいっても考えても、やり直しは出来ない。vous avez veçuである。
死に向かって歩み続けるのみだ。


 それでも入院前のこの間は大規模なパフォ-マンスと女性ダンサ-のソロダンス、と二つの公演に感動した。
  一つはパリで最も先駆的な美術館PALAIS DE TOKYOで行われた独の女性ア-ティストAnne Imhofの一大パフォ-マンス。
 出だしは美術館前に若者がモ‐タ-バイクで騒音を立てて走り込んでくる。列を作って小雨で寒い中で入場を待っていた観客は大勢で300人位か。普段見かけるパリっ子とは違って髪を染めたり、パンク風や独特の風采の人が目立つ。パリにこうした人たちが大勢いる事に驚いた。会場に入ると女性を中心に数人の若者が出張った壇上で演説をしている。
 それが移動していくと地下スぺ-スのある広い館内のあちこち,で、パンクロックや絵画展、 裸体でザクロを食べ続ける女や床を這う男女など様々なパフォ-マンスが多数のパフォ-マ-によって同時多発的に行われる。ユニ-クでこういう大集団パフォ-マンスは初めて見た。
 内容は現代対する悲観に彩られていたが、一つの事件を作り出す事に成功していた。


 もう一つはパリオペラ座ダンスのエトワ-ルだったMarir Claude Pietragallaのソロダンス公演「la femme qui danse=踊る女性」。
 優雅で繊細で知的。空間で泳がす羽毛のように軽い白い布も使い方も綺麗で巧み。彼女の身体はスリムで美しかった。さすがは元パリオペラ座のプリマドンナ。演出はモダンで鋭角な光線を様々に駆使して飽きさせない。巧く闇も作っていた。それになによりダンスの基本が本物だった。迫力があり美しいソロモダンダンスの公演でとても魅了された。



 やがて俺自身の一幕喜悲劇も幕を閉じるだろうが、ただただ今祈っているのは二人の子供たちが幸せに生きていくことである。

パリもカネが苦しみ。

 

包装の凱旋門



米の天才包装ア-ティスト、クリストがエトワ-ル広場の凱旋門を完璧に包装した一大芸術作品は素晴らしかった。
 だだモニュメントを包装しているのではない。包む素材は青と銀色の二枚合わせで作られた独特の繊維物質、ロープの色や縛り方、だぶつく包装部分、陽光や風で変化する表面。全てが緻密に計算されつくされている。カフェから眺めていると無窮の時間の中にいる気がした。晴れた日で、落ちていく陽光に起立する包装の凱旋門は美しかった。
 後日もう一度見たくてシャンゼリゼ通りまで行ったが解体作業中。裸にされた凱旋門は味気なかった。スポンサ-もなく助成金にも頼らず全て作品カ-ドの販売などの方法で自力で賄っているというのもすごい。


 この間、外食を多くしたので300ユーロ=約4万円の赤字がでた。この後は切り詰めて 生活するしかない。カネは生命を繋ぐ糸。生きている以上は必ず問題が起きるから、どうしてもカネはかかる。靴が古くなったから買え変えた。値段もピンキリ。いくらでも高価な靴はあるが、チャャイナタウンで偶然見つけた50 euro超=6500円の靴を買った.。普通価格である。
 更に日白内障の手術もある。手術したらは新しい眼鏡が必要だ。これもピンキリだが普通300-500ユーロ前後=65000円はするだろう。嫌になる。分割払いしかない。
 また幾つかの病気も抱えている。白内障の他、糖尿、高血圧、頻尿、躁鬱の抗鬱剤、長い入院生活で普通歩行不可能なった脚 のリハビリ、これらの治療代を全部払うのは不可能。それでも生活が破綻しないで済んでいるのはフランスの福祉保障に救われているからである。感謝。フランスの社会保障システムはよく出来ているし人間的だ。
 家に閉じこもってカネを使わない生活をしていればカネに追われる苦しみは少ないかもしれない。しかし楽しみのないみじめで貧しい月日は耐えがたい。


 食でいえば食品をスパ-で買っていればそれなりに安いが、それでも月最低150から200ユーロ=2万6千円はかかかる。外食は一般に高い。ちょと高級感のある日本料理店では昼定で60euro=7800円前後はとる。鮨は普通の店で15から20ユ-ロ=2600円前後、焼肉定食はやはり20ユーロ2600円前後。カツカレ-は1300円、ラーメンは最低1300円、先日モンパルナスで珍しく牛丼 のある店を発見、早速食べて見たが不味かった。値段は14ユ-ロ=1820円。パリに格安の立ち食蕎麦屋や牛丼店はない。
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 冬になるのでズボンを新しく買いにデパ-トで探したら10000円前後が普通、10万円するブルゾンも売っていたのでビックリした。小店舗の格安店か、でなければブ-ㇺの量り売りの古着専門店で探すしかないだろう。家の方は幸い持ち家なので救われているが、パリのアパ-ト賃貸料も高い。20m平方で700ユーロ=91000円という物件もある程だ。


 一度シャンゼリゼで可愛い黒人の少女がカネのありそうな50歳代くらいの白人男に体を売ろうとしていたところを見た事がある。現在フランスで売春をしている少女の人数は7千人から一万人前後といわれる。
 フランスのジャ-ナリズムは援助交際などという意味不明言葉は使わずはっきりと少女売春という。値段は不明だがホテル代別で手取り200ユーロ=26000円位ではないか。
 これをテ-マにしたTV連続ドラマ番組もスタ-トした。
 フランスの少女は可愛いから手を出してみたい気がしないでもないが。自慢ではないが少女だけには手を出した事がない。30歳前後の自由なパリの女性とは随分寝たが。


 世界には国家破綻した国が幾つでもある。そういう国に共通しているのは政治権力者連中の腐敗である。日本では安部政権がそうした風潮をt増長しまった。


 日本を端から見ているとカネに集る政治家の多さに驚く。彼等の無能力無責任は様子をよく観察すれば一目瞭然。私利私欲しか考えられない連中だ。


 世界に数多い破綻して悲惨な国家に比べればフランスは未だ豊かで健全さを保っている。
  それでもフランス人の関心事の筆頭は月々の消費と家計である。


 だから、どんなに恵まれて楽そうにみえるパリジャンでも一人としてカネで苦労していない人などいないということだ。
 カネ=生命維持で生活を取り巻く状況は絶え間なく変化しているのであるから。みんなカネで苦しむのは当たり前。カネは苦しみの源泉である。


 カルチェ財団の美術館で英の美術家Damien HirstのExpo「Des spot paintings Aux Cerisiers en Fleurs::スポット ペインティング、咲いている桜」をみた。
 モネに影響を受けたというが、無数の多彩な桜色の小さなスポット、斑点が大タブロ-広がっている。
 空との調和も見事。夢の桜の園いる気がして、カネの苦しさからの一時解放されて幸せだった。

桜