獅子頭伸のフランス情報;パリのつびぶやき。

在仏約40年の経験を生かしてパリを中心とした文化社会情報をお伝えしていきます。k

パリに暮らして40年以上が経ちました。情報誌パリ特派員、日本映画祭のプログラムディレクタ-などをしてきました。恐らくパリに骨を埋めるでしょう。日本映画紹介の仕事は続けています。年齢は還暦過ぎてから忘れています。そんな日本人男が触れる日常や特にカルチャ-シ-ン、またパリから見た日本の事などを書いていきたいと思っています。ヨロシク。

2018年,中東の幸せな人たち。

 今時刻は22時10分前。隣の徒歩5分の映画館で素晴らしアルジェリア映画を見て感動して帰ってきたところだ。題は「les bienheureux=幸せな人たち」。監督はsofia djama=ソフィア ジャマというから女性である。


 無名なので平凡な作品だろうと。しかし、何故か気持ちが動いた。大収穫だった。涙で胸がつかえる場面があった。有名俳優はゼロ。


 経営するクリニックが順調で豊かな生活をする家族がいる。
 一人息子は社会に希望を見いだせず怠惰な日常を送っている。
フランス郊外の移民系の若者もそうだが、希望がなければ不貞腐れた刹那的な生活を送るのは当然だろう。かつて日本のアニメの有名監督がパリのトークショウで年を取っても希望を求める人間にろくなのはいないと驕り誇った発言をしたが、希望なしに人は生きられない。その監督の方こそロクでもない。
 こういうノ‐フィチャ-の若者が極一部の特権階級層を除いて中産階級上層も含めた大多数の若者に蔓延しているらしいところが深刻だ。


 尤も、これは他国事でなく日本も言えそうだ。
 同国も老人が権力を手放さない長期独裁政権で、政権内部の腐敗はすさまじいと聞いている。状況は似ていると思われるのに、日本にはこうした社会の病理にメスを入れた若手監督の映画作品がないことを考えると、日本の方がより深刻かもしれない。小手先で浅い教養で観念をいじくりまわすような作品が多い、と少なくともパリで見る日本映画にはそういう手合いが目立つ。


 外国で高評価と誤解されている河瀨直美にしても是枝や黒沢清、あえていえば北野武の作品にも幼稚で掘り下げの浅い作品が多い、と思う。井の中の蛙、内弁慶。
  
 自分の名声、それも欧米での反響ばかりが気になって、同時代を生きる日本の他者、社会歪みへの想像力に欠けるから、そういう作品しか作れないのだろう。
 彼らの多くは卑屈な程、フランスやカンヌ映画祭で評価された事ばかり気にしている。


 河瀬の新作「光」が公開されたばかりで偶然に左派系有名全国紙リベラションの評を読んだが、文字通り糞みそ、一言で要約すれば幼稚という事だ。


 話をアルジェリア映画に戻すと、その一人息子が麻薬に手を出したり、そのガ-ルフレンドも親友も夜中になると親のカネを結んで遊びにでかけるのだ。
 母親は、もうこの国は修理不可能なまでに壊れ切っているから、息子の将来の為に国を捨てたいの一念である。
 それに反対していた夫も寛容ゼロの警察官が妻を横暴に扱う現場に立ち会いあい、彼女が国を見捨てて移民することを許す。
 麻薬で投獄された一人息子は警察の上部にいるガ-ルフレンドの父親の汚職と圧力で釈放される。詩織さんの準強姦事件を思い出した。


 腐敗の構造と権力の横暴と、それでも生きなければならない日常生活と。欧米も真っ青の豪華レストラン、知識階級の鬱屈。隙の無い見事な構成で俊逸に描いている。すばらしい。小手先だけの日常脱力映画や底の浅い暴力映画で欧米に受けたと宣伝している日本映画も修理不可能の自堕落に落ち切っている、といえるのではないか。


 昨日はイラン映画で「un homme intégre」という作品を見たのだが、社会問題を押し付けがましく勿体ぶて見せようとする深刻面の駄作。


 ただ、これも地方権力の腐敗汚職が絡む話で、トランプの馬鹿時代で世界には汚職と腐敗が蔓延しているようだ。


 勿論、安部政権が糞溜なのはご存じのとおりである。知っての通りである。欧米で安部は低能トランプの腰巾着としかみられていない。


 この間、国民的ロックスタ-ジョニ-アリデ‐が73歳ガンで死亡した。日本でいえばイエ‐-ロックンロ-ルのお爺さん内田裕也かな。
 この死亡にマスコミとそれに煽られた大衆が異様なフィ-バ-に狂った。ペストの感染、寺山の疫病流行期、中世フランスで発生した猫虐殺現象。熱の感染は恐ろしい。


 真っ白な葬儀車を80台以上のハレ‐ダビットソンが囲んでマドレ-ㇴ大寺院まで送る大演出。エッフェル塔にはメルシイ ジョニ-の電光板。
 tv各局、数時間にわたる特集特集、
 某ニュ-ス番組専門のtvなどは朝7時から一日特集を組むという異常さ。
 フランスのtvも信用できないと実感させられましたね。


 続いてロリタ-ポップ歌手フランス ギャルが70歳もガンで死亡。日本では「私はフランス人形」の曲が知られているかも。


 今我々は1970年代が完全に消え去っていく時期に立ち会っているだ。


 時間が経つのが何故こんなにも早くなったのか。
 子供の頃は日向ぼっこする時間なんてのがあったと思うが。


 ブログを書きたいと思っていて、気がついたら1月ももう下旬だ。
 爺になるばかりで嫌になる。


 全てから解放される老年にこそ自由で平穏な日々が待っているなんてほざいている知識人など信用できない。


 次は大晦日をサラダ食べながらtvを見て一緒に過ごした元パリ5区カラオケバ-の美人ママだったカティアに聞かされた波乱万丈の人生物語を書ければと思う。
 嫉妬で家を丸焼きにされたり昔の愛人の悲惨な最期など、凄まじい。


 不幸せの佃煮のような話である。若い頃の写真をみたがスタ-女優の様なすごい美人で興奮した。