獅子頭伸のフランス情報;パリのつびぶやき。

在仏約40年の経験を生かしてパリを中心とした文化社会情報をお伝えしていきます。k

パリに暮らして40年以上が経ちました。情報誌パリ特派員、日本映画祭のプログラムディレクタ-などをしてきました。恐らくパリに骨を埋めるでしょう。日本映画紹介の仕事は続けています。年齢は還暦過ぎてから忘れています。そんな日本人男が触れる日常や特にカルチャ-シ-ン、またパリから見た日本の事などを書いていきたいと思っています。ヨロシク。

仏の不倫人妻地獄と「秋刀魚の味」





1€=156,45円。日本が経済成長の時期パリに来てバブル経済の破綻も経験してきたが、こんなすごい円安は初めて。ショックだ。


何個もルイベトンを買うために行列する日本人は勿論のこと、日本人観光ツアーの光景も消えてしまった。


破産した免税店も多い筈だ。


このままこうした円安が続けばフリ-ランサ-の日本人は生活困難になり、パリで生活できるのは特別な人だけになっていくのではないか。 


外務省でさえ外交官に円で月給を払いを続けるか否か検討しているというのだから。


金持ちか、売れている芸能人か。あるい美人でフランス男にぶら下がって生活出来る女とか。しかし男は厳しい。日本男を養ってもいいと言うフランス女は皆無だろう。


また仮に日本女性を養ってくれるフランス男があらわれたとしても要注意だ。
中には女の所持金を狙ってる奴もいるし生活するとケチだったりアル中になってドメスティックバイオレンスを振るいだす奴もいるし不倫は不可避だろう。


フランスでは夫が妻を乱暴をふるって殺してしまうホムシッドが社会問題となっているのだ。


日本が没落するといっているのではないが、人生も国家も不運なめぐり合わせや、ちょとした間違いで転落する。


パリから日本をみていると日本は生きる上での型を失ってしまっているように思える。


型を守らないとなんでも何でもありで崩れていってしまうと思う。 


武道も日本舞踊も型を失えば滅びるだろう。


汚職や不倫事件の多発は人間関係の型が崩壊している現象かもしれない。


ロシアは汚職が蔓延している。蜜を求めて銀蠅金蠅のようにそれに集ってくる女たちもいる。


プーチンは腐敗が生んだ独裁者なのだ。


悪と腐敗は金欲と淫欲から発生する。そして腐敗は必ず崩れる。


そうならないために生活で型を守るということは大事なのである。


今回のプーチンに対するワグネルの反乱はマフィア同士の利害をめぐる抗争というのが大方のフランスの見方だ。
高名な歴史学者はプーチンの終わりの始まりと指摘している。


こんな中、ネットでスタ-女優広末涼子w不倫騒動を知って興味をもった。


一般に浮気や不倫は女性に厳しく男には寛容な面がある。
女には貞操を求める歴史から来ているのだろう。


不貞した女は殺されてもしかたがなかった。
フランスでは鉄製貞操帯があった。
しかし男に関しては-。
サド侯爵というのもいたし、井原西鶴の「好色一代男」などでは「たはふれし女。55歳まで3742人」と凄い数の女と性交している。


アラブにはハレムがあって多妻制だったし、日本には女は貞操を守るために歯を真っ黒に塗りつぶすお歯黒という風習があった。


そうした過去の潜在意識があるから、広末涼子かは鼻っから不利な立場に立たされていたのではないかと思う。 


パリから見ていると純情なのは広末涼子で夫と愛人の2人の男には嘘と計算が混じっている感じがある。


コックの男は女優を愛してるといいながらう世間から堂々と守らずご都合主義で狡賢い感じするし、もう一人の蝋燭屋の方は「俺の女に手を出すな」なんてヤクザっぽい。


今年のカンヌ映画祭のコンペで上映されたフランス女性監督作品の原作となった新進小説家éric reinhardtの「l'amour et les forêt」を読んだ。


夫に嫌悪を覚えるフランス語教師の若い女性が自由を味わいたくてマッチングで気に入った男を見つけて午後のひと時セックスして過ごす。
夫は家を留守にしたその空白の時間を知って何をしていたかを偏執的に執拗に問い責め続ける。疲れ果てた妻は遂には白状するが、それからが地獄。
夫は見知らぬ男とどう性交したか、どんな体位でやったかを毎晩根掘り葉掘り聞こうとして同じ体位での性交の仕方やフェラチオを強いるようになる。
耐え切れず妻は自殺未遂をはかり精神病院で緊急入院される。
複雑で屈折した恋愛感情と男の性欲が絡んだ男女の悲劇がよく書かれている。


広末涼子w不倫騒動と通じるようなところもあって面白かった。


セックスと背信と復讐。やはり人はうかがい知れない他人の心の闇の話に引かれてしまう。



先日、住んでいるvanves市にある大画面が立派な市立映画館で10年以上続けている日本映画鑑賞のシネクラブを先日もやった。
作品は小津安二郎「秋刀魚の味」。


観客層は蓮見重彦の解説を聞きに行く東大生やパリシネマテックに入りびたりで「映画館の鼠」と揶揄されるインテリのシネフィルではなく地元の映画好き市民が中心である。


意外にも初めて見たという人が多かった。
上映終了後、みんな席を立たず感動していた。
観客数は30人超。
討論も活発で映画好き市民の意見が聞けた。
また上映中は何度となく笑いが起こり、小津の映画はむつかしく考えるものでなく楽しいものだということも教えられした。小津はすごい。


それと岩下志麻、岡田茉莉子、2人の主演女優が実に美しい。
不潔さがなく品性があって。姿勢に崩れがなくて。下卑たセックスアピールなどないで。
日本女性にしかない美しさである。


これを見ていてネットで見るタレント上がりの日本女優たちは男の性欲対象で売ってるような女が多いと思った。脚線美や可愛いとか。あまりにも中身がなさすぎ。


個人として売笑婦は好きだが、本物の女優とは卑俗か品性があるかどうかで絶対的に違う。
セクシ-だけでは容色が衰えればボロ屑だ。


今の有名な日本女優で時を経ても美しい人はどれだけいるだろうか。


フランス人女性は男に性欲の対象だけとみられることを忌み嫌う。
日本のタレント映画女優の現状を知ったらびっくりするだろう。


広末涼子w不倫騒動で某タレント女優がネットで呟いていたように日本は最悪な時代にあるのかもしれない。


これを書き終わったらフランスで若者の暴動がおこり大変な事態になっている。
発端はアラブ系の17歳の少年が警察の検閲を受けた際、車を発車させ逃亡しようとして射殺された為。
暴動は全国に拡大しているが、年齢層が13歳から14歳と弱年層なのが特徴だ。
貧富の差、恵まれない移民系の家庭の子供たちが社会に対する欲求不満を爆発させたのであある。
どう収拾出来るかるかは不明だ。
逮捕者は800人以上。数台のバスが同時に丸焼きになるなど戦争後のような光景さえ見られている。
極右は過去社会党政権の移民政策の失敗が原因と短絡的に批判。フランスの世論はより極右に近づいていくようになるのではないかと思う。


何事も一寸先は闇。嘘や過ちの附けは必ず払わなければならない。
なんでもは最後はツ-ペイになっているのだ。と思う。

人間の闇と演劇の力。

口上。悔しいけど携帯から写真移送が不可能状態。修理屋打診後改めてお送りしたい。写真ナシは寂しいですが。


  
 今日の呟き。
  暫くぶりのブログになってしまった。見たいことやりたいことが山ほどあリ時があっという間に経ってしまう。何かをを削ればいいのだがなかなか上手く回せない。
 加えて今春のパリは日々の温度差の変動が時には5-6度時と激しく、遂に風邪で長々とダウンしていた。人生健康でなければカネなどあっても意味はない。
  
 病気前二人の日本人の死が有力紙で大々的に報道された。
 坂本龍一と大江健三郎である。
 フランスでいかに高く評価され親しみを持たれていたかが理解できる。


 そしてパリのカルチャ-では感動した二本の演劇公演があった。


 一つはカルチェラタンにあって欧州演劇を標榜するオデオン座で上演されたシェ-クスピア劇「オセロ」、演出jean françois sivadier。
 冒頭はジ-パン姿のオテロとネグリジェ姿のオフェリアがぶらぶらしながらそひそ話している。いつ芝居が始まったのか分からない。しかし徐々にドラマの中にぐんぐんと引き込まれていく。この展開は自然でしかも力強く説得力がある。


 また主演級の俳優がみんな凄い。オセロ役はセネガル出身の黒人優俳Adama Diopで粗暴と繊細が織り合わさった迫力ある存在感で引きこまれる。


 オフェリア役は若い新進女優Cyril Bothorelだったが、無垢の少女のようなのに肉体は堪らないエロチシズムが漂う。
 言葉巧みにオテロの妻に対する妬を煽り立て王妃暗殺を果たさせるイヤ-ゴ役Niclas Bouchaudo。彼は独り舞台の多く上演する人気俳優だが、長セリフを見事な抑揚でまくしたてていく才能には舌をまいた。他の俳優もすばらしかった。


 単に嫉妬で妻を殺害した話ではなく当時のベニスにあった黒人に対する人種差別を巧みに織り込んでいたのも面白さを増加させていた。
 ラスト、死に絶えていく愛妻を抱きかかえ呆然としたオセロが顔を手で少しづつ白塗りしていく場面は強い印象を与えた。
 フランス現代演劇界の層は厚い。仏現代演劇演出家の一人として注目したい。


 もう一本はウクライナの女性だけの劇団Dakh Daughersの公演「Danse macabre:死骸ダンス」。場所はバンセ‐ヌの森にある集団創作で太陽劇団のホームグランド。弾薬倉庫を改造したユニ-クな大劇場だ。
 名戯曲「作者を探す7人の登場人物」で知られるピランデルロの作品「山の上の巨人」を下敷きにしているという。音楽劇である。
 舞台は女優が亡霊にしか見えないくらい薄暗い。死体のように床に死体のように転がっている女性たちや旅行トランクを使ったでの集団ダンス。虐殺や強姦、難民、祈り。
 死から蘇生したウクライナ女たちのアナ-キな集団創作とでもいう感じだ。
 音楽はパンクロックの生演奏。和太鼓も使われていた。


 ウクライの祖先はロシアのスラブ人ではなく騎馬民族のコサックやタタ-ル人だそうだが、彼女たちを見ていると身体的特徴はフランス人と何も違わない。
 ラスト、彼女たちは希望を求める。そして全員で国旗を広げファイティングポ-ズした。


 観客の中にボロボロ泣いてる女の子がいて胸が熱くなった。
 パリにはウクライナからの亡命者が10万人超いるそうだ。


 TV.新聞からはプーチンが徐々に袋小路に迷い込みつつあるようで嬉しいが、フランス国内も定年退職年齢改革をめぐって機動隊出動などの社会紛争、安楽死をめぐる議論、貧しさで精神的にも苦しんでいる大学生症候群、議員などさえ襲う暴力事件の多発、コカイン中毒の流行、インフレ物価高による庶民層の生活苦などなど。
 マクロン大統領は人気喪失で困難な社会問題は山積みでだ。


 目下カンヌ国際映画祭が派手に開催中で日本からは是枝と北野両監督の新作が話題。kお
 昔行ってった頃が懐かしいが、今年は世界中から映画バイヤ-が一万3千人超、西欧敵視の中国からのジャ-ナリストの登録数が253人と知って驚いた。


 カンヌ国際映画祭は戦後のファシズムに対する反省が誕生のきっかけとなっている。
  作品は未見だがベンダ-スのコンペ作品で地道に俳優業をやってるようで好きな役所広司が主演男優賞をとったのは嬉しかった。
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 この映画祭はそもそも戦後すぐファシズムに対する反省から生まれたものである。

パリの希望








今、フランス人の心には悲観と終末感が漂っていると思う。


 コロナ禍は完全に終わっていないし。
ロシア独裁者プ-チンの仕掛けた侵略戦争は一年超も続いているだけでなくウクライナの抵抗で悪化し深刻化。第三次世界大戦を危惧する声もある。


 それでも依然ロシアは凶悪犯の罪人やシベリアなど貧困の遠地方から集めた男どもを兵士にして武器の代わりに肉弾として戦わせ一日1000人の戦死者出しながら戦闘を続けている。


 一方フランス経済は予測程破局的ではないもののインフレによる物価高は物凄く、一週間の食品買い溜め費は平均50ユ-ロから100ユ-ロ位の2倍に値上がっている。


 またマクロン政権は年金受給の定年を60歳から64歳に引き上げる政策を発表したが、全労組が手を組んだ200万人以上の大反対のデモとゼネストが起こりデモは今も断続的に続き、出口不明のまま社会は動揺している。


 更にスパイ気球撃墜事件で米中軍事衝突を心配する声もあるし、イスラエルとパレスチナの間での血で血を洗うテロ戦争も再燃している


 戦争の準備を完了したという北朝鮮と国内で女性抑圧しを核開発を続行するイランはロシアへの武器密輸をしている。
 それにイランが核弾頭持ち核武装国の宿敵イスラエルと軍事対立する事にでもなれば人類はリアルに滅亡の背戸際に立たされる。


 全てフランスに直桔する影響がある事件ばかりで悲観主義が蔓延するのは当然だ。


 有名なフランス人社会学者エマニュエル・トッドは日本のインタビューに答えて「民主主義は滅びるしかない」と民主主義を追い詰めるような発言している。 一時は好きな学者だったが最近はこいつは信用してない。まったく共鳴出来ない。


 シリアとトルコでは大地震が発生した。テレビの現地中継を見ていると否応なく終末感を抱く。神は人類を見放す。死者は結果的に現在の3万3千人の2万人の2倍になるだろうといわれている。


 こうした暗黒の時代が背景なのか 。
 20歳前後の若い女性が強姦され殺害される事件が続いて起こっている。
 またパリ郊外の住宅を娼婦の館とした新手の売春ビジネスが増殖。娼婦は南米女性が殆ど。
 セックスではポルノも繁栄。フランスの代表的なAVサイトyou pornoの年間アクセス数はは2千万人以上だ。政府は今年から未成年18歳以下はポルノサイトへのアクセを禁止する。







 約10年前から近くの特にスクリ-ンが抜群の映画館で平均月一回日本映画を解説付きで上映するシネクラブをやっている。
 最近では2月5日に日本映画クラッシクの名作「黒沢明監督の赤ひげ」をプレゼンテーションした。
 これは山本周五郎の小説が原作。
 18世紀中葉、幕末から明治維新へと流れていく歴史の大変換期を背景に実在した小石川療養所を舞台にして赤ひげ医師と長崎留学帰りのエリ-ト青年医師、それに「貧しき人々」との間で人間として美しい交流を描いたもの。
 隙のない時代考証、真の日本美を的確に捉える秀逸な場面、芸術であると同時に娯楽の楽しさ、息を呑む圧倒的な画面描写。3時間の長さを一瞬も飽きさせない鋭利な演出。
 「終わり」マ-クが出るとブラボ-の喝采が沸き起こった。一般映画館では珍しい事だ。


 終演後、劇場内バーで討論会をやったが、観客は熱っぽく感動は冷めず、悲観や終末感を忘れ勇気と希望を得た様子だった。
 改めてカルチャ-=映画の力を痛感。
 日本人として誇りをもった。