獅子頭伸のフランス情報;パリのつびぶやき。

在仏約40年の経験を生かしてパリを中心とした文化社会情報をお伝えしていきます。k

パリに暮らして40年以上が経ちました。情報誌パリ特派員、日本映画祭のプログラムディレクタ-などをしてきました。恐らくパリに骨を埋めるでしょう。日本映画紹介の仕事は続けています。年齢は還暦過ぎてから忘れています。そんな日本人男が触れる日常や特にカルチャ-シ-ン、またパリから見た日本の事などを書いていきたいと思っています。ヨロシク。

死にたい気持ちで生きた。

  前回のブログを書いた時は、バカンスの事など考えて好調だった。


 ところが突然予告なく、年金機構から調査に対する返事がなかったから5月からの定期的なt月支払いを停止するという衝撃的な通達が届いた。パニック。


  返事はちゃんと送った。電話で抗議すると受け取ってないとの返事。
 郵便局に打診したら、宛先に届かなかったら、郵便物は送り主に戻ってくると教えられたので、再度抗議の電話をいると、今度は違う女が税金と身元証明書を持ってくれば大丈夫だという。
  場所が遠い郊外だったので、正確な道順を聞くために、もう一度電話する。
 と別の女がでて、直接来ても窓口がないから無駄だと拒否された。


 カネは生命にかかわる重大な問題じゃないか。役所事務員の程度の低さ。命に係わる事をどう考えているのか。ひどすぎる。サボタ-ジュだ。
 仕事で疲れたくない。だから杜撰に事務処理するのだ。


 対策として機構代表者に手紙を出したり、銀行に相談したり。完全に振り回され、がっくり疲れた。


 そんな折、ある事件が起り大スキャンダルになった。
 若い23歳の女性が体調急異変で苦しくなり、公立病院の緊急に電話をしたところ、受付担当女が真面目に対応せず、それだけでなく「市販の鎮痛剤を呑めばいいといったり、どっちにしろ誰でもいずれは死ぬものだとか答える冗談」で電話をカット。
 放置された女性は数時間後に死んでしまったのである。ひどすぎる話だ。


 こういう意地悪な返事をする受付女には絶えず遭遇しているから、例外的な対応ではないと思った。
 自己判断で自分を守らなかったら、生き延びていけない社会。それはもう凄まじい。


 このゴタゴタ、他にも生活上厄介な問題処理に追われて、いい加減に生きるのにも疲れたなという気持ちが起こってきて、もう死んでもいいかなという思いに捉われた。老いれば若い頃の喜びが次々と消えていく、


 若い美女を誘惑できる可能性は零。詰まらない。セックスは生命の喜びだというのに。


 この間にカンヌ映画祭が始まり終わってしまった。授賞式をtvで見ていたが、パルムド-ル、是枝監督の「泥棒家族」と呼ばれた時、素直にすごいなと感激した。それと批評家賞のレバノン映画監督が美人だけでなく受賞スピ‐チが感動的だった。スパイクリーの健在も嬉しい。
 最初に登場したイタリア美人女優が21歳の時、カンヌ映画祭中、プロデュサ―のウイスティンに強姦されたと暴露し、今あなた達の隣に座っているのは、そういう男かもしれないと強烈な発言。ドキモを抜かれたが、勇気があると共鳴した。
 今、リュック、ベッソンも某女優から強姦の訴えが出されている。
 
 どさくさしている最中、弁護士訪問の後、携帯電話を何処に置いたか、どうしても思い出せない。折角の写真がブログに掲載できないのはすごい欲求不満だ。人生は文字通り一寸先は闇。何が起こるか分からない。

 そういう訳で、生きるのに疲れたと思いながら生きていた。

 ヘンリ-王子とメ-ガン嬢の結婚式は実況中継を朝から一日中見て過ごした。
 美は人間を感動させる。二人は心底愛し合っていると思った。由緒ある英国教会でのゴスペル。黒人牧師のアフロリズムの説教、若々しい生命の輝き、招待客の華麗なファッション、シンデレラ姫のお伽噺が21世紀の現実話としてtvに映し出されている。美しかった。完璧だった。「i will」といった時の二人の愛に満ちた優しい眼差しの交換。改めて愛は若さの特権だと思った。嘘がない。メーガンの母の謙虚な佇まいと涙にも感動。画面を見ながら何度も涙した。

 大英国王室に奴隷に血筋を引く女性がプリンセスとして入ったのだ。
 時代はどんどん変わっている。
 そうした潮流の中で日本を外から見ると、安部政権の身内利益主義の腐敗政治は旧時代の異様なものだ。


 秋から安部の鶴の一言でパリ日本芸術年が始まる。
 映画部門のフランス側担当者が言っていた。総ディレクタ-は津川雅彦なのだが、センスが古くてどうしようもない。
 それを聞いて、何故津川なのかと疑問を抱いた。適切な人選ではない。


 直感したのが、安部の身内人脈だからなのではないかという事だった。そうしたら、ネット右翼でおよそ映画とは無縁と思えるデブ男が津川雅彦をやたら持ち上げていて、しかも津川自身が好きなレストランとして 安部しと時々会食するイタリア店を挙げていたので、完全に納得がいった。
 これで津川のポケットにはいくらギャラが入ったのだろうか。国のイベントだから高額だろう。


 俳優としても三船や仲代達也に比べたら2流以下だ。
 腰巾着をやっていればカネが転がり込む。名声もでる。
 しかし、観客は騙されない。面白いイベントにはならない事は明白。
 他人のカネで好き放題というのは許されるわけがない。
 津川もどこかで天罰を受けるに違いない。


 世界の動向は予測不可能。イタリアでは極右が権力を握った。


 フランスは都会型ブルジョワ社会化している。
 マクロン王朝時代の風潮というところだな。
 マクロンの人気は下落傾向。続落すれば、次の出番は極右か極左の札しか残っていない。


 第一次大戦とファシズムが台頭した第二次世界大戦の間、平和、セックス、享楽のベルエッポクがあった。フランスは束の間の21世紀版ベルエッポクに浮かれている最中なのかもしれない。


 生きるのに時として疲れを感じる。社会学者西部氏も似たような気持ちで自殺したのだろうか。同氏は気取り屋らしく「絶望が深い」と言っていたが。
 それよりも愛妻を失くした後、「形骸化してまでいきたくない」といって自決を選んだ江藤淳の方に共感を覚える。
 潔く自決した彼らと嘘八百で権力にしがみつく男と。どちらが美しいか。
 「美しい国造り」をアピ-ルし裏では腐敗している人間は余りにも醜悪である。日本の精神美のかけらもない。


 美女とおカネを欲しいと思う。でも、それさえ空しいのではないか。
 実存的危機にあるのかも知れぬ。それでも時は容赦なく過ぎていく。