死にたい気持ちで生きた。
前回のブログを書いた時は、バカンスの事など考えて好調だった。
ところが突然予告なく、年金機構から調査に対する返事がなかったから5月からの定期的なt月支払いを停止するという衝撃的な通達が届いた。パニック。
返事はちゃんと送った。電話で抗議すると受け取ってないとの返事。
郵便局に打診したら、宛先に届かなかったら、郵便物は送り主に戻ってくると教えられたので、再度抗議の電話をいると、今度は違う女が税金と身元証明書を持ってくれば大丈夫だという。
場所が遠い郊外だったので、正確な道順を聞くために、もう一度電話する。
と別の女がでて、直接来ても窓口がないから無駄だと拒否された。
カネは生命にかかわる重大な問題じゃないか。役所事務員の程度の低さ。命に係わる事をどう考えているのか。ひどすぎる。サボタ-ジュだ。
仕事で疲れたくない。だから杜撰に事務処理するのだ。
対策として機構代表者に手紙を出したり、銀行に相談したり。完全に振り回され、がっくり疲れた。
そんな折、ある事件が起り大スキャンダルになった。
若い23歳の女性が体調急異変で苦しくなり、公立病院の緊急に電話をしたところ、受付担当女が真面目に対応せず、それだけでなく「市販の鎮痛剤を呑めばいいといったり、どっちにしろ誰でもいずれは死ぬものだとか答える冗談」で電話をカット。
放置された女性は数時間後に死んでしまったのである。ひどすぎる話だ。
こういう意地悪な返事をする受付女には絶えず遭遇しているから、例外的な対応ではないと思った。
自己判断で自分を守らなかったら、生き延びていけない社会。それはもう凄まじい。
このゴタゴタ、他にも生活上厄介な問題処理に追われて、いい加減に生きるのにも疲れたなという気持ちが起こってきて、もう死んでもいいかなという思いに捉われた。老いれば若い頃の喜びが次々と消えていく、
若い美女を誘惑できる可能性は零。詰まらない。セックスは生命の喜びだというのに。
秋から安部の鶴の一言でパリ日本芸術年が始まる。
映画部門のフランス側担当者が言っていた。総ディレクタ-は津川雅彦なのだが、センスが古くてどうしようもない。
それを聞いて、何故津川なのかと疑問を抱いた。適切な人選ではない。
直感したのが、安部の身内人脈だからなのではないかという事だった。そうしたら、ネット右翼でおよそ映画とは無縁と思えるデブ男が津川雅彦をやたら持ち上げていて、しかも津川自身が好きなレストランとして 安部しと時々会食するイタリア店を挙げていたので、完全に納得がいった。
これで津川のポケットにはいくらギャラが入ったのだろうか。国のイベントだから高額だろう。
俳優としても三船や仲代達也に比べたら2流以下だ。
腰巾着をやっていればカネが転がり込む。名声もでる。
しかし、観客は騙されない。面白いイベントにはならない事は明白。
他人のカネで好き放題というのは許されるわけがない。
津川もどこかで天罰を受けるに違いない。
世界の動向は予測不可能。イタリアでは極右が権力を握った。
フランスは都会型ブルジョワ社会化している。
マクロン王朝時代の風潮というところだな。
マクロンの人気は下落傾向。続落すれば、次の出番は極右か極左の札しか残っていない。
第一次大戦とファシズムが台頭した第二次世界大戦の間、平和、セックス、享楽のベルエッポクがあった。フランスは束の間の21世紀版ベルエッポクに浮かれている最中なのかもしれない。
生きるのに時として疲れを感じる。社会学者西部氏も似たような気持ちで自殺したのだろうか。同氏は気取り屋らしく「絶望が深い」と言っていたが。
それよりも愛妻を失くした後、「形骸化してまでいきたくない」といって自決を選んだ江藤淳の方に共感を覚える。
潔く自決した彼らと嘘八百で権力にしがみつく男と。どちらが美しいか。
「美しい国造り」をアピ-ルし裏では腐敗している人間は余りにも醜悪である。日本の精神美のかけらもない。
美女とおカネを欲しいと思う。でも、それさえ空しいのではないか。
実存的危機にあるのかも知れぬ。それでも時は容赦なく過ぎていく。
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